「無種子サマーディ」
◎無種子サマーディ
【本文】
『タシャーピ 二ローデー サルヴァニローダーッニルヴィージャハ サマーディヒ
これ(他のすべてのサンスカーラを退けるサンスカーラ)さえも止めてしまったとき、一切の心の作用が止まってしまうので、無種子サマーディが出現する。』
はい。これはさっきも言ったように、まずここまでの段階っていうのは――瞑想に入って智慧を得ました。しかしこの世に戻ってきました。しかしその瞑想の経験っていうのは残っています。それによって他の現世的などうでもいいことがどうでもよくなってくる――どんどんどんどん増してくんだけど、でもこのいいサンスカーラ、これはいいサンスカーラなんだけど、サンスカーラなんだね。これさえも最後には止まる段階がくる。そうすると、サンスカーラが止まってしまうってことは、もう輪廻がないんです。つまり十二縁起の無明ありて行あり、行ありて識ありって行くんだけど、行がないから(笑)、その次に行かないっていうか。だから輪廻が止まるんだね。
あるいはわれわれがこの世で、抽象的な言い方をすれば――抽象的な言い方というか、お釈迦様の弟子たちはみんな言ってるんだけど――なすべきことがなくなるんです。
お釈迦様の弟子って、みんな悟ったときに「なすべきことはなくなった」って言う。つまり行がなくなるんですよ。イコール無明がなくなるってことなんだけど。消化しなきゃいけないサンスカーラの情報がストップしてしまった状態。これが無種子サマーディ。もう何も発現するものがありませんよ、というサマーディ。これは将来はあるのかっていうと、将来は発現する可能性はあります。だからこれは、いつも言っている、中途半端な解脱と完全な解脱の違いだね。いったん止めた――これは中途半端な解脱。完全な解脱っていうのは、また話が大きくなるけど、やっぱり菩薩行以外にありえないと思うね。完全に、菩薩行という方法によって、いろんな人の苦しみを経験しつつ滅していくっていうのを繰り返していくと、もうどんな刺激によっても、どんな環境によっても、全く新たなサンスカーラが生じないような状態になってくるんです。ここまでいかないと、最終的なのは無理なんだけど。でも少なくとも個人の、今まで悩まされてきた自分のサンスカーラはいったん止めることができる。これが無種子サマーディだね。
はい、なかなか『ヨーガ・スートラ』も奥が深いですね。それはそうなんだけど(笑)。ばーっと読むとよく分かんないんだけどね。でも実際、いろんな他の仏教とか、あるいは近代的な密教とかヨーガとかの考えを分かった上で読むと、『ヨーガ・スートラ』も非常に奥深いものが分かってくるという感じだね。
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