「布施長者」
ジャータカ・マーラー 第四話
「布施長者」
世尊はかつて菩薩であったとき、過去世の殊勝な功徳によって、長者として生まれました。彼は勤勉さによって広大な財産を有し、そして公平な商売によって世間において称賛されていました。優れた名門の出で、無数の学問・学芸について理解・熟達があり、王からも敬意を表されていました。
また、彼は常に布施の実践を習慣としていたために、彼の名声は高まり、十方に広まりました。
さてあるとき、その偉大なる魂は、沐浴し、身体に香油を塗った後、すぐれた料理人によって調理された美味なる食事の用意が整ったとき、一人の乞食者がやってくるのを見ました。彼は智慧の火によって煩悩の薪を焼き尽くした独覚でした。
そのとき悪魔パーピーヤスは、菩薩の布施の実践を妨害するために、菩薩の家と、その独覚との間に、恐ろしい地獄を化作しました。それは激しい炎が揺らめき、恐怖の叫び声がこだまする、恐ろしい光景でした。
菩薩は、独覚が来たのを知り、妻に言いました。
「妻よ。聖者に自らたっぷりと食物の供養をしなさい。」
彼女は「かしこまりました」と答えて、上等の食物を持って進み出ました。しかし門のすぐそばに恐ろしい地獄を見て、恐怖し狼狽して、あわてて戻ってきました。
いったいどうしたのかと夫に問われて、突然の驚愕のために喉を詰まらせながら何とか事の次第を説明すると、菩薩は言いました。
「あの聖者を、私の家から食を得ることができないままに帰すことはできない。」
そう言うと菩薩はあわてて、妻が説明した地獄のことなど意に介せずに、最上の食物を自ら持って、外に出ました。すると妻が言っていたように、門と独覚との間に、恐ろしい地獄が出現しているのを見ました。これはいったい何事だろうかと菩薩が考えていると、悪魔パーピーヤスが住居の壁の中からあらわれ、神のような姿を顕現させながら空中に立つと、まるで菩薩の幸福を願う者であるかのように、優しい言葉で語りました。
「長者よ。これは大叫喚という名の大地獄である。
布施の実践をする者たちは、この地獄に幾千万年も住むことになり、出ていくことは難しい。
財産は最も重要なものである。財産をなくしたならば、人は悪法を行なうようになり、地獄に落ちるのである。
よって、布施にふけっている汝は、悪行を犯していることになるのだ。それゆえに、この炎に満ちた地獄が、ここに出現したのだ。
さあ、布施をしようとする考えをやめなさい。そうすれば汝は地獄に落ちることはないだろう。
汝が布施をやめて、逆に布施を受けて財産を集めるならば、天界に行くであろう。」
そのとき菩薩は、これは悪心ある者が布施を妨害しようと思ってなしたことであると悟り、堅固な勇気をもって、次のように言いました。
「あなたのおっしゃる通り、私の布施の実践は、通常の度を越しているのかもしれません。しかし私は、極限的な布施の実践から尻込みすることはありません。
あなたは、布施によって悪法が生じること、そして財産こそが重要であることを説きました。しかし、布施をなさないならば、どうして財産が法の道につながりましょうか?
布施をする人は地獄に行き、逆に布施を受ける人は天界に行くと、あなたは語りました。あなたは布施の妨害をしようと思ってそう語ったのですが、それによってかえって私の布施の心は増大しました。
あなたの言ったとおり、私の布施を受け取った人は天界に行きますように。というのは、私にとって布施は世間の人々の利益を求める願望であって、自己の安楽を望んでの行為ではありませんから。」
そのとき悪魔パーピーヤスは、再び、彼の利益を願っているかのように装って、巧妙な言葉で菩薩にこう告げました。
「あなたはよく考えて行動しなさい。
あなたが布施をやめるならば、やがては天界に至り、安楽に満たされて、私の言葉を恭敬の念をもって思い出すでしょう。
あなたが布施をやめないならば、やがては地獄に至り、後悔に満たされて、私の言葉を恭敬の念をもって思い出すでしょう。」
菩薩は答えました。
「友よ。どうぞ私を許してください。
私を信頼して施しを要求してきた乞食たちに対して布施を与えられないくらいならば、むしろ私は燃え盛る地獄の炎の中に、喜んで落ちるでしょう。」
こう言うと菩薩は、自分の布施行には過ちがないという確信を持ちつつ、独覚に布施をするために、地獄の穴の中にまっすぐに進んでいきました。
一部始終を見ていた菩薩の親族や従者たちは、菩薩への愛情により、菩薩が地獄に進むのを阻止しようとしましたが、菩薩はそれらを振り払って、堂々と、地獄の真中へと歩いて行きました。
するとそのとき、地獄の底から一輪の蓮の花があらわれ、菩薩の足を受け止めました。その蓮の花は、まるで悪魔の愚かな行為を笑っているかのように見えました。
菩薩がもう一歩足を踏み出すと、再び蓮の花が生じ、菩薩の足を受け止めました。このようにして菩薩は、蓮華の渡しを歩いて地獄の上を渡り、独覚の前にやってくると、浄信と歓喜にあふれる心をもって、独覚の鉢に食物を捧げました。
菩薩から食物の布施を受け取った独覚は、空中に舞い上がると、美しく輝く雲、稲妻、雨をあらわすことで、菩薩の清浄な心をたたえました。
一方の悪魔は、菩薩の布施の邪魔をしようという邪悪な策略が打ち砕かれ、落胆し、輝きを失い、菩薩や独覚をまともに仰ぎ見ることもできませんでした。そしてやがて悪魔も地獄もその場から消え失せました。
このように、賢者たちは、地獄へ落ちる危険も顧みずに、極限の布施をし続けたのです。
ならば今安穏なる状態にある者が布施をし続けるのは当り前のことなのです。
どんな恐怖を与えようとも、真の勇者を悪の道に引きずり込むことはできない、と知るべきです。
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