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「不断の訓練」

◎不断の訓練

【本文】
④困難な状況に対応するために、絶えず訓練します。

 「困難な状況に対応するために、絶えず訓練します」と。これもいろんな意味があります。

 まず大きく分けると、二つの意味があります。まず一番目は、読んだこのままの意味なんだけど。困難な状況ね。つまりどんな苦難がやって来ても、あるいはどんな障害がやって来ても、われわれは心を動かしちゃいけないし、あるいは心の、今平静なときに持っている――例えば心の喜びであるとか、あるいは衆生への慈悲の心とか、あるいは自分の師や仏陀や神への帰依の心とか――そういうのは決して揺るがしちゃいけないわけだね。

 でも実際には、みなさんこの中でね、まあもちろん若い人達が多いから、人生の中でどれだけの困難に遭ったかっていうのは人それぞれだろうけど、ものすごい困難に遭ったときっていうのはやっぱり、心のいろんな部分っていうのはちょっと駄目になってしまう。なんか人を憎むようになってしまったりとか、あるいはすごく苦しくて心がもうギブアップしてしまったり、帰依とかが吹っ飛んだりしてしまう可能性がある。そうならないように、普段から絶えず自分の心を訓練しなきゃいけない。

 これは、シャーンティデーヴァが『入菩提行論』で表現してるのは、虻や――虻って最近いるのかな(笑)? この間ちょっとTさんともそういう話をしたんだけど、虻って最近いないねって話。虻ってみんな知ってるよね? ちょっとでかいハエみたいなやつで、刺されると痛いやつね――まあ虻とか、あと蚊ね、蚊。蚊に刺される。あるいは蜂とか。あるいはそれ以外のいろんなダニとかの虫とか。あるいは日々の暑さとか寒さとか。それらの忍耐の訓練の機会を、なぜあなたは無視するのかっていう教えがあるんだね。

 どういうことかっていうと、そういった例えば、「あ、蚊が来た」と。「蚊に刺されたくない」と。「刺されると痒い」と。例えばね。あるいはそうだな、ちょっと夏で結構暑いと。ね。あるいは冬でとても寒いと。これは小さな困難なんだね。小さな困難。つまりわれわれの人生を全てひっくり返すほどの困難ではないよね。例えば「先生、今年の夏暑いから、もう修行やめます」とか、そんな人はいない(笑)。ね。「ちょっと蚊がいっぱいいるんで、もう人生においてわたしは仏教捨てます」とかね(笑)、そんな人はいない。そんな人はいないわけだけど、そのような小さな苦難っていうのは、訓練の機会なんだね。今の蚊とかハエとかっていうのはまあどうでもいいかもしれないけど、例えば、暑いと。暑い中で――例えばその暑さにもいろいろレベルがあるだろうけど、少々暑い、あるは少々寒いぐらいだったら、それに耐えてしっかりと修行すると。ね。あるいは、例えばちょっと人から嫌味を言われたと。ね。それはものすごくもうぼろぼろにズタズタになるぐらい、もう自殺したくなるぐらいぐじゃぐじゃに言われたわけじゃなくて、ちょっとなんか一言言われたと。これくらいだったら、それは訓練の機会と思ってしっかりと逆に受け入れなさいと。

 つまり、もう一回言うけども、われわれは将来において、もう自分の根底からぐじゃぐじゃにされるような困難がやって来るかもしれないんです。でもそのときにも、さっき言ったように、自分の修行者としての清らかな心とか、慈悲とか、あるいは帰依とか、それは決して崩しちゃいけないんです。でも今われわれが、のんべんだらりとね、「僕は何があっても大丈夫ですよ」とか言ってる人が、苦難が来たときに崩れないかっていったら、それは非常に難しい問題がある。だから、今から小さな部分から鍛えなきゃいけない。で、その忍耐の機会っていうのは、自分から求めてやるんもんじゃなくて、あっちからパッとやってくるわけだね。で、それはありがたいと思って、自分を今鍛える訓練だと思って、日々小さなことからね、鍛えなきゃいけない。

 例えば誰かが馬鹿にしてきたと。「あ、これは、どんな人に対しても慈愛を向ける一つの訓練だ」と思って、その人に対して怒りを決して起こさずに、愛する訓練をするとかね。そういうことを小さなことからやってるうちに、大きな、本当にもうどうしようもない困難が来たときにも、まあ何とか頑張れるということだね。これが一つの意味。「困難の状況に対応するために、絶えず訓練します」――つまり、どんな困難がやって来ても大丈夫なように、日々小さなことから――言ってみれば全て受け入れて、その中で自分を鍛えていくと。

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