「ヴィヴェーカーナンダ」(8)
1884年はじめ、ナレーンドラの生涯の一大事が起こりました。ナレーンドラの父のヴィシュワナートが、心臓発作を起こして急死してしまったのです。
ナレーンドラは父親の葬儀を行なった後、調べてみると、家の経済状態が惨憺たるものだったことを知りました。気前の良いヴィシュワナートは収入以上の出費を続け、借金だけを残して亡くなっていたのです。
ヴィシュワナートの気前の良さから世話になっていた親類たちもいまや敵に回り、ナレーンドラの家族を家から追い出そうとたくらみ、裁判沙汰になりました。
父親が死に、収入がなくなった今、ナレーンドラが一家の長として、六、七人の家族を扶養しなければいけなくなりました。今まで裕福な家庭で何不自由なく育てられてきたナレーンドラは、途方にくれてしまいました。必死で仕事を探し求めましたが、なぜか全く職を得ることができませんでした。
三、四ヶ月たっても、この苦境は変わりませんでした。ナレーンドラは、照りつける日差しの中を栄養不足でふらつきながら、毎日はだしで一軒一軒職探しに走り回りました。しかしどこに行っても断られました。この世において無私の思いやりが稀有なものであり、貧者や弱者の居場所などないということを、この経験からナレーンドラは思い知らされました。少し前には、「あなたの役にたてれば幸せだ」と言ってくれていた人でさえ、顔をしかめ、取り合ってもくれなくなりました。
こうしたあらゆる悲しい現実に直面すると、ナレーンドラには、この世は悪魔が作ったものではなかろうか、とさえ思われるのでした。
あるとき、疲労困憊したナレーンドラが木陰に腰を下ろしたとき、彼の友人の一人が、ナレーンドラを励ますために、神の歌を歌ってくれました。
風が吹く、ブラフマンの息吹が。
『彼』の恩寵を感じる。
この歌を聴いたとき、ナレーンドラは憤慨しました。母や弟たちの哀れな暮らしを思うと、憤りと絶望から、『黙ってくれ!』とその友人に叫んだのでした。
「贅沢な暮らしをしている人には、そんな空言も結構なことだろう。飢えの苦痛など想像もつかない人、身内がぼろをまとって飢えていない人には結構な歌だろう。」
それはかつてはナレーンドラにも美しく聞こえた歌でしたが、人生のどん底にいきなり落とされたナレーンドラにとっては、無情なあざけりにしか聞こえなかったのでした。
後にナレーンドラ(ヴィヴェーカーナンダ)は、こう述懐しています。
「友人は私の言葉にひどく傷ついたことだろう。私にこんな言葉を吐かせた赤貧を、どうして彼に理解できただろうか?
朝起きて食べ物が足りない日には、『友人に昼食に呼ばれています』と母に嘘をついて家を出た。何も食べない日もあったが、自尊心から、私はそれを誰にも話さなかった。
『ひどく顔色が悪いし、悲しそうだよ』と言ってくれる人はごくわずかだった。そんな中でただ一人、私は黙っていたのに、事態を察した友人がいた。彼は母に時々匿名で送金をしてくれていたのだった。彼への恩は決して忘れないだろう。」
ナレーンドラの子供時代の友人には、若いころに堕落して、悪徳商法に手を染めた者たちもいました。彼らはナレーンドラの窮状を知ると、仲間に引きずり込もうとしました。
また、ある裕福な女性は、以前からナレーンドラに夢中になっていましたが、機会到来とばかりに、財産もろとも自分を娶って、貧困にけりをつけないかと申し込んできました。ナレーンドラは嫌悪感から、その申し出をきっぱりと断りました。
他の女性が同様の申し出をしてきたときも、ナレーンドラはきっぱりとこう言いました。
「ああ、あなたはつまらない肉体の満足を求めて、人生を台無しにしてきたのだ。いまや死が面前に迫っているのです。その準備はできているのですか? 汚らわしい欲望を避けて、神に祈りなさい。」
これほど苦しんでもナレーンドラは、神の存在に対する信仰を失ったり、「神は哀れみ深い」ということを心から疑うことはありませんでした。
しかしある朝、ナレーンドラが神に祈りを捧げているのを見た母は、きつく言いました。
「お黙りなさい! お前は子供のころから神の御名を唱えている。神がお前に何をしてくれたというのです?」
この母の言葉に、ナレーンドラはひどく傷つき、自問しました。
「神は本当におられるのか? もしおられるなら、われわれの熱烈な祈りに応えてくださるのだろうか? これほどの祈りに応えてくださらないのはなぜなのか? 神の善なる国にこれほどの苦難があるのはどうしてなのか? 神の創造物にこれほど悪がはびこっているのに、どうして神が慈悲深いといえようか?」
ナレーンドラは子供のころから、心に思ったことを隠すことができず、何でも口に出してしまう性分でした。ですからこのころ彼は、「神は存在しない。たとえ存在したとしても、結果が得られないのだから祈っても無駄だ」と、攻撃的な言葉を吐き続けました。その結果、
「ナレーンドラは無神論者になり、酒を飲み、悪人と交わり、いかがわしい場所に出入りしているようだ」
という根拠のない噂が、たちまちに広がりました。しかしナレーンドラはその性格上、そういう噂を聞くほどに、弁解するどころかますます反抗的な態度になり、こう言うのでした。
「この苦しみに満ちた世間にあって、酒を飲んだり、売春宿に通ったりして悲運を忘れられるなら、何の反論もない。たとえ一瞬でも幸せになれると確信できるなら、わたしもやってやろう。」
このような噂は、ナレーンドラの法友であるラーマクリシュナの信者たちの耳にも入り、彼らは真相を確かめにナレーンドラのもとへとやってきました。彼らが、全部とは言えなくても多少はそのような噂を信じていると知り、ナレーンドラはひどく傷つきました。そして彼らに対しても、無神論的な主張を繰り返しました。法友たちは、ナレーンドラの堕落を確信して帰っていきましたが、ナレーンドラはむしろそれを挑戦的な気分で喜んでいました。
しかし自分が堕落したという話を、おそらく彼らはラーマクリシュナにも話すだろう。師はそれを信じられるだろうか、と考えると、ナレーンドラの胸は張り裂けそうでした。それでもナレーンドラは、自分に言い聞かせました。
「もし師が彼らの話を信じられるのなら、どうすることもできまい。他の人に良く思われようが、悪く思われようが、何の価値があろうか?」
実際、信者たちは、ナレーンドラが堕落したという噂を、ラーマクリシュナに伝えていました。それを聞いて、ラーマクリシュナは最初は何もおっしゃりませんでした。
しかし信者の一人のバーヴァナートが涙ながらに、
「師よ、ナレーンドラがここまで落ちぶれようとは、夢にも思いませんでした!」
と言うと、ラーマクリシュナは激しく言い返しました。
「黙りなさい、こいつめ! あの子が絶対にそんなことをしないことは、母がお話しくださった。これ以上言うのなら、二度と顔を見せるではない!」
すべての人々が疑っても、ラーマクリシュナだけは、ナレーンドラの潔白を信じていたのでした。
そしてナレーンドラも、本当の意味で無神論に陥ることはできませんでした。子供のころからの経験、そしてラーマクリシュナにお会いしてからのさらなる様々な経験が、ナレーンドラの中に鮮やかに浮かび上がりました。彼はこう思いました。
「神は確かにおられて、必ず神に至る道がある。そうでなければ、人生は何のためにあるのか? 何の価値があるのか? 神への道は、どんなに苦労しても見つけ出さなければならない。」
このようにナレーンドラは、長く続く苦境の中で、神への疑いと確信の間を揺れ動き続けたのでした。
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