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「ヴィヴェーカーナンダ」(18)

 ナレーンドラは、ヒマラヤへ向けて修行の旅に出ました。何人かの兄弟弟子たちも、この旅に同行しました。カルカッタからヒマラヤまでは相当な距離がありますが、彼らはこの旅の全行程を、徒歩で、しかも一切お金を使わずに行こうと決心しました。

 いくつかの聖地を訪れた後、ナイニータールという場所で、ナレーンドラは深い瞑想体験をしました。それを彼は、ノートに次のように記しました。

「はじめに言葉があった。
 小宇宙と大宇宙が同じ計画の下に創られる。
 ちょうど個人の魂が生きている肉体の中に包まれているように、宇宙の魂もまた活動するプラクリティ、すなわち客観的宇宙の中に包まれている。
 カーリー女神はシヴァ神を包んでいる。これは空想ではない。他のものによって唯一なるものを包むことは、概念とそれを表現する言葉との間の関係に類似している。それらは全く同一である。それらを区別できるのは、ただ知的な抽象的観念によってのみである。思想は言葉なしには不可能である。それゆえ、はじめに言葉があった。
 宇宙の魂のこの二面は永遠である。われわれが知ったり感じたりするものは、永遠にかたちのあるものと永遠にかたちのないものとの結合である。」

 
 旅の途中、悲惨な境遇にあったナレーンドラの妹が、自殺したという悲しい知らせが届きました。

 ようやくヒマラヤに着いた一行は、まずヨーガの聖地であるリシケシに滞在し、その後にメーラットという場所に移って、兄弟弟子たちと共に、瞑想、祈り、歌、聖典学習などに日々をすごしました。

 五ヶ月ほどそのような日々が続いた後、1891年1月、ナレーンドラはじっとしていられなくなり、兄弟弟子たちに別れを告げて、一人で再び放浪の生活に出ました。ナレーンドラは、今生の自分の使命が、ヒマラヤの清らかな洞窟の中で瞑想のうちに過ごすことではないと、確信していたのです。しかし、では何をすればいいのか、それはまだ具体的にはわかっていませんでした。

 ナレーンドラは、名前をスワーミー・ヴィヴィディシャーナンダと変えて、ヒマラヤを去って南へと向かいました。ナレーンドラは、誰にも知られずに孤独のうちに旅をしたかったので、その後もたびたび名前を変えました。ナレーンドラは、敬愛するブッダの次のような言葉を唱えながら、南へと進んでいったのです。

 道なき道を進もう
 恐れるものなく、愛着するものなく
 サイのように、ただ一人さまよおう
 ライオンのように、物音におののくことなく
 風のように、網に捕らえられることなく
 蓮華のように、水にけがされることなく
 サイのように、汝はただ一人さまよえ

 旅の途中、ナレーンドラは、あらゆる人々と交わりました。夜は不可触民の人々と共に眠り、昼間はさまざまな階級の知識人や庶民たちと話を交わしました。それによってナレーンドラは、彼らの喜びや悲しみ、希望や不安を知りました。現代インドのさまざまな悲劇を目の当たりにし、その救済策について考えをめぐらせました。苦しむ人類を神への道にいかに向かわせるか、模索し続けました。

 アールワールという地に着いたとき、その地のマハーラージャ(地域の王)と、激しい議論を交わしました。ナレーンドラは、目立たぬように粗末な出家僧の身なりをしていましたが、その頑丈そうな体と、学者風の高貴な風貌は、明らかに普通の人ではない印象を人々に与えていました。そこでその王はナレーンドラに、なぜそのような高貴な学者風の風貌のあなたが、わざわざ放浪生活を送っているのか、と尋ねました。それに対してナレーンドラは、
「なぜあなたはマハーラージャの義務を怠って、いつも西洋人とともに時を過ごしたり、狩りに出かけたりしているのですか?」
と、逆に王に質問しました。それに対して王は答えました。
「どうしてかは説明できないが、それが好きだということは確かです。」
 するとナレーンドラはこう言いました。
「なるほど。その同じ理由のために、私は出家僧となって放浪しているのです。」

 また、議論の中で、西洋かぶれしていたその王は、インドにはびこる偶像崇拝をあざ笑いました。ナレーンドラは、ヒンドゥー教は偶像を象徴として礼拝しているのだと主張しましたが、王を納得させることはできませんでした。そこでナレーンドラは、壁にかかっていたその王の肖像画を外すと、それに唾を吐きかけました。そこにいた人々は皆、この大胆な行為に恐れをなしました。ナレーンドラは王のほうを振り向くと、言いました。
「肖像画は生身のマハーラージャその人ではありません。しかしすべての人にその人を思い起こさせるので、非常に尊ばれるのです。同様に、偶像は帰依者たちの心に神の存在をあらわすものです。それゆえに、特に宗教生活のはじめには、精神統一に役に立ちます。」
 この堂々としたナレーンドラの行為と言葉に、王は負けを認め、自分の至らなさをわびました。

 ベルゴームという地では、兄弟弟子のアベーダーナンダに偶然会いました。ナレーンドラはアベーダーナンダにこのように言いました。
「兄弟よ、時々、体全体が張り裂けるのではないかと思うほどの強い力が、私の中に盛り上がってくるのです。」

 また、かつて弟子として受け入れたハリパダという男とも出会いましたが、そのときハリパダは、うつ病にかかっていました。ナレーンドラは彼に次のような忠告を与えました。
「病気のことばかり考えていて、いったい何になるのか。ほがらかにしなさい。宗教生活を送りなさい。いつも思想を深めるようにしなさい。陽気になりなさい。決して、健康に障ったり、後で後悔するような楽しみにふけってはなりません。そうすれば、すべてがよくなるでしょう。
 また、死についていえば、君や私のようなものが死んでもどうということはありません。私たちが死んでも地球は逆転しません! 世界は私たちがいなければ動かないと思うほどうぬぼれてはなりません。」

 また、このときナレーンドラは、アメリカに行きたいという希望を、ハリパダに伝えました。旅の途中、もうすぐアメリカのシカゴで世界宗教会議が開かれるという噂を聞き、それに参加したいと考えていたのでした。これを聞いてハリパダは喜んで、そのためのお金を集めようとしました。しかしナレーンドラは、まずはラーメーシュワラムに巡礼し、そこの神を礼拝し終わるまでは、そのことについてはこれ以上考えない、とハリパダに言いました。

 ラーメーシュワラムにつくと、ナレーンドラは、後に熱心な弟子のひとりとなったラームナードの王、バースカラ・セトゥパティに会いました。彼も、シカゴでの世界宗教会議にインドを代表して出席するようナレーンドラに勧め、そのための援助を惜しまないことを約束しました。

 ラーメーシュワラムを立つと、ナレーンドラはついにインド最南端の地であるカンニャークマーリー(コモリン岬)目指して歩き出しました。

つづく

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