「ヴィヴェーカーナンダ」(16)
ラーマクリシュナの存命中より、若い弟子の何人かは、家族との絆を断ち切っていました。また、ナレーンドラはラーマクリシュナに、若い弟子たちが家に帰らずに修行を続けられるように面倒をみてやってくれという依頼を受けていました。
しかしカーシプルに借りられた家は、ラーマクリシュナの死とともに、引き払われることになりました。これから、これらの若い弟子たちは、どこに集まって修行すればいいのかという問題が生じました。
まもなくしてこの問題は、ラーマクリシュナの信者の一人であったスレーンドラナート・ミトラが解決してくれることになりました。カルカッタとドッキネッショルの中間にあるバラナゴルというところに一軒の家が借りられ、それに伴う費用はすべてスレーンドラナートの布施によってまかなわれることになったのです。
このバラナゴルの家は、物寂しく荒れ果てた建物であり、幽霊が出るという噂もありました。しかし若い弟子たちはそんなことは意に介せず、おどけてその建物を「幽霊屋敷」と呼び、自分たちを「主シヴァに仕える幽霊たち」と呼んで、楽しんでいました。この「バラナゴルの幽霊屋敷」が、ラーマクリシュナ僧団の最初の本部となったのでした。
このバラナゴルの幽霊屋敷で若い弟子たちが修行を始めた初期のころ、弟子の一人バーブラームの母親の招きで、全員でアーントプルという村に出かけたことがありました。この地において、ナレーンドラは兄弟弟子たちに繰り返し、出家生活のすばらしさを説き、単なる宗教の学問的研究や、物質世界への未練を断ち切るようにと説きました。若い弟子たちは放棄の精神の高まりを、自らの心の中に感じました、
そしてその情熱は、皆が火のまわりに座って瞑想していたある夜、最高潮に達しました。
突然、ナレーンドラは瞑想から立ち上がると、兄弟弟子たちに、イエス・キリストの生涯を、強い熱情とともに語り始めました。そして「身を横たえる場所さえ持たなかったキリストのように生きよう」と彼らに説きました。新たな強い熱意にあおられて、若者たちは聖なる火を証人として、全員が正式に現世を放棄し、出家僧になることを誓ったのでした。
そのとき、「今日はクリスマス・イブだ」と誰かが言ったことで、皆はより大きな祝福を感じました。
このようにこのラーマクリシュナの若い弟子たちは、師の教えどおりに、宗派主義に陥ることなく、ヒンドゥー教の諸宗派みならずブッダ、キリストなどにも大いなるインスピレーションを受けて鼓舞されつつ、純粋に神を求める道に邁進していったのでした。
こうして再びバラナゴルの僧院に帰った後、彼らは完全に家庭を捨てて、僧院の永住者になりました。彼らは食事さえ忘れ、瞑想、礼拝、学習、神の歌などに没頭しました。
彼らは経済的には貧しく、しばしば全く食物のない日もありましたが、そんなときは彼らは一日何も食べず、ただ昼夜を祈りと瞑想のうちに過ごしました。
食料があるときも、米と塩と、味のついていない野菜だけですごしていました。あるときは、野菜も、味付けの塩さえもない米だけの食事のときもありましたが、誰一人としてそんなことを気にする者はいませんでした。
着物は、それぞれが二枚の腰布だけを持ち、そして誰かが外出しなければいけないときのために、共用の外出着が数枚あるだけでした。夜は、ごつごつした土間に、筵を敷いて眠りました。
しかしナレーンドラは、このような苦行生活を送りつつも、自分たちが単なるヒンドゥーの意固地な苦行者になることは好まず、視野を広げるために、法友とともに様々な教えを学び、研究しました。それはジュニャーナ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガなどのヒンドゥーの様々な教えのみならず、仏教、キリスト教、さらにはアリストテレスやプラトン、カントやヘーゲルに至るまでの様々な思想が、日々徹底的に論じられました。
このころのことを振り返り、若い弟子の一人は後にこう言いました。
「あの当事に、ナレーンドラは気狂いのように働いた。夜もまだ明けやらぬうちから、彼は寝床から出て、『目覚めよ、起きよ、神酒を飲みし者よ!』と歌いながら、仲間を起こすのだった。真夜中を過ぎても、われわれは僧院の屋根の上に座って、宗教歌を夢中になって歌うのだった。近所の人々は文句を言ったが、無駄であった。また時々は学者たちがやってきて、議論をした。ナレーンドラは一瞬たりとも怠けたり、ぼんやりしていることはなかった。」
このような厳しい生活を送りつつも、彼らは、それでも自分たちはラーマクリシュナの教えの一つさえもいまだに実現していない、と日々嘆いていたのでした。
ラーマクリシュナは信者の性質に合わせて様々な教えの説き方をしたために、ラーマクリシュナの信者の中には、彼らのこのような放棄の修行生活を認めない者もいました。あるときそのうちの一人が、
「世を捨てることで、神を見ることができましたか?」
と、からかうようにたずねました。
「どういうことですか?」と、ナレーンドラは憤慨して答えました。
「たとえ私たちがまだ神を実現していないからといって、快楽の生活に戻り、より高い本性を堕落させなければならないのですか?」と。
つづく
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