「ミラレーパの生涯」第二回(6)
【本文】
食物をあえて探しに行くこともせずに洞窟で修行していたミラレーパの食事は、洞窟の周りに生えていた、食用に適さない草だけでした。そのため、ミラレーパの体はガリガリにやせ、体は緑色になったといいます。
あるとき、ミラレーパの婚約者だった女性と、ミラレーパの妹が、肉と酒を持って、ミラレーパの洞窟を訪ねてきました。ミラレーパは厳しい修行によって解脱寸前にあったのですが、厳しい食生活によるエネルギー不足により、「熱のヨーガ」の解脱に必要な心身のエネルギーが足りない状態でした。しかしこの肉と酒の供養を受けることにより、身体にエネルギーが生じ、気道は通り、一気に修行が進んだのでした。
このようにしてミラレーパは、「熱のヨーガ」や「マハームドラー」の修行をひたすら進め、稀に見る大成就者となっていきました。そしてミラレーパの特徴は、なんと言ってもその美しい歌にありました。
もともとインドやチベットの密教では、悟りの境地を即興の歌であらわす伝統がありましたが、ミラレーパはこの能力に非常に長けていました。ミラレーパの歌は真理の真髄を絶妙に表現し、人々の心を打ち、またその歌声も非常にきれいだったといいます。
またミラレーパは大神通力者でもあり、弟子の前では、様々なものに変身したり、空を自由に飛んだり、いろいろな神通力を見せましたが、他の人にはそれを秘密にしておくようにと忠告していました。
こうしてミラレーパは、チベットで知らない人はいない、高名な大成就者となっていきましたが、有名になっても歳をとっても、寺に安住したりすることはなく、山の洞窟で瞑想をし続けました。多くのチベット人がミラレーパの出家の弟子や在家の信者となり、多くの弟子が解脱と悟りを果たしました。
はい。まあここまでで、なんというかな、ミラレーパの生涯の第二部終わりって感じですね。マルパのもとを離れて、一生懸命修行をして大いなる解脱を果たし、そして多くの弟子ができたっていうところだね。
はい。ここも時間がだいぶなくなってきたんで、さーっといくけども、ね。
「食物をあえて探しに行くこともせず」――つまりミラレーパはもう徹底的な現世放棄の思いに燃えて山にこもり、瞑想に明け暮れていたと。で、普通はさあ、托鉢に行くわけですよね。食事がなくなってきたら、たまに――たまにっていうか、人によっては毎日、あるいは人によってはたまに行って、食物を分けてもらいに行くと。で、それはもちろんしょうがないわけだけども、しかしミラレーパは――まあおそらくもともとね、人一倍情が強かったんでしょう。情が強かったから、人里に食物をもらいに行くときにやっぱりちょっと人恋しくなってしまうと。ね。よって、それさえもやめようと思ったんだね。「もうわたしは、悟りを得るまでは、食物をもらいにも行かない」という誓いを立てた。しかし何も食べなかったら死んでしまうので、その辺の洞窟の周りに生えていた、イラクサっていわれますけど、イラクラっていう本来食用ではない草をね、食用にして、なんとか命をつないでいたと。で、そうしたら、もうほんとに食用じゃない雑草ばっかり食ってるわけだから(笑)、体中もうガリガリになってね、やせこけて、体が緑色になったといわれている。
はい。で、そこにミラレーパのまあ元婚約者だった女性と、乞食になって放浪してた妹が、ミラレーパの噂をね、あそこで修行してるらしいっていうのを聞きつけて、ミラレーパのもとにね、お酒と肉を持ってやってきたと。
で、ミラレーパはさっきも言ったように、厳しい修行によってね、もうほとんどある意味――まあミラレーパがやってた修行っていうのは、いわゆる六ヨーガ、ね、ここで『ナーローの六ヨーガ』っていう本がありますが、あの六ヨーガの修行と、もう一つはマハームドラーの修行です。つまりマハームドラーっていうのは精神的な、心の真髄を悟るような瞑想修行ね。で、六ヨーガっていうのは、まさにここでやってるクンダリニーヨーガみたいなものです。ムドラーとか、エネルギーを回す瞑想とかを中心にした修行ですね。
で、この二つっていうのは、まあ絡み合ってるんですね、このナーローパとかの系統ではね。つまりその六ヨーガの修行をしっかり進めることで、同時に精神的なマハームドラーの修行が進んでいくっていうところがあるわけだね。
で、ミラレーパはその前半のね、師への徹底的な帰依と試練に打ち勝ったことと、そしてそののちの厳しい瞑想修行によって、ほとんどある意味準備オッケーの状態だった。準備オッケーっていうのは、つまり体のナーディーとかあるいはチャクラとかのシステム自体はもう十分に研ぎ澄まされ、準備オッケー。しかし、ね、現世放棄のために草しか食わなかったっていう、そういう物理的な原因により、準備オッケーなんだがエネルギーがない状態だったんだね。だから全然修行が進まなかった。ね。
このクンダリニーヨーガの修行においてではですよ、当然クンダリニーヨーガの修行においては生命エネルギーが必要だから、生命エネルギー欠乏状態にあった。そこで、ね、まあこれもおそらく神や仏陀の祝福により、元婚約者と妹が酒と肉を持ってきたと。ね。で、その肉と酒のエネルギーによって、一気にスイッチが入ったわけだね。つまり、グアーッと、そのシステムとしてはオッケーな状態だったのが、そこにエネルギーが注がれて、グワーン、タラララーっていう感じで(笑)、
(一同笑)
クンダリニーヨーガ、六ヨーガの経験が一気に起きたんだね。
ここでさ、酒と肉って出てるわけだけど、これも何回か前にも言ったけど、よくこのチベット系というか六ヨーガ系の修行とかでは、まあこの肉とか酒とか、あるいはバターとかを使うんだね。バターっていうのはね、これは前も言ったけど、わたしも前に何回か試してはみたけど――例えばですよ、その辺で売ってる雪印とかのバター買ってきて、あれをこう煮込むんだね。まあ完全に煮込みきるとギーになっちゃうけど、まあそこまではやらずにドロドロに煮込んで、それをコップ一杯飲み干すんですよ。それをね、一日三回ぐらい飲むっていうんだね、あるチベットのトゥモの修行者たちはね。で、わたしそれを前に聞いて、何日かやったんだけど、吐いたね、最後は(笑)。
(一同笑)
気持ち悪くて(笑)。まあつまり、やったら分かると思うけど、つまりバターの脂、それから実際日本のバターは塩が入っているのが多いけども、バター茶とかも塩を入れるわけだけど、その脂と塩分の、燃える要素というか、媒体になるっていうか、それによって体に熱が発生するんだね。で、それだけじゃ駄目ですよ。それだけじゃただタマスになるだけですね(笑)。タマスになるだけだけど、そうした熱の材料を、強力なクンダリニーやトゥモの炎によって燃やすんです。ね。で、それが同じように例えば肉であったりとか――肉っていうのも、そうだな、初心者には――あのさ、いつも言ってるけど、仏教っていうのはもともとは肉食禁止ではありません。禁止じゃないけども、初心者は肉はあんまり食わない方がいいね。なんでかっていうと、まず肉っていうのはちょっと体に負担がかかる。それから動物の、なんていうかな、エネルギーを吸収してしまうので、ちょっと煩悩的になるんだね、やっぱり。分かると思うけど。
だから初心者はやめた方がいいんだけど、ミラレーパみたいに修行が進んで別にそんな肉の悪い影響なんてあまり受けないという場合は、肉はとてもいいんです。なぜかというと、即効性があるんだね。つまり早くエネルギーに変わる。早い。早いけど雑なんです、肉っていうのは。野菜でできるエネルギーっていうのは、時間はかかるけど、まあきれいなものができる。肉は早いけど雑であると。しかしその雑さに影響を受けないレベルだったら、まあ肉も別にかまわないんだね。
酒も同じです。酒も、酒っていうのは当然、分かると思うけど、熱が発生するわけだよね。でも酒ってなんで悪いのかっていうと、意識が混沌とするからです。つまり瞑想から遠く離れる。まあ現代的な、現代医学とかでは、例えばビール一杯で、なんだっけな、脳細胞がどれくらい死ぬとかね、よくいわれるけども、つまりちょっと無智になるんだね。それからもちろん現実的な意味としては、酒によって普段は出ないような煩悩が出たりとか、普段はやらないような悪業を積んじゃったりする場合が実際にあるよね。
でも例えばミラレーパのように、もう完全に意識が鮮明であって、酒に全く持っていかれないと。この場合、酒のメリットだけがあるわけだね。
これもだから密教の一つのやり方なわけだけど、だからこのクンダリニー系のチベットの修行者とかは、よく酒とか肉とかバターをとるんだね。
でもこれもね、実際にはチベットとかでは、これもまあよく聞く話だけど、全然資格もない人たちが酒とか肉とか、まああのやりまくってね、酔っぱらってグデングデンになって(笑)、おれは密教徒なんだとか言っている人が結構いるらしいんだね(笑)。
ちょっとこれも聞いたことあると思うけど、あるね、ここに昔来てた、チベットで出家したね、ある中国人の修行者がいたんだけど、その人のお父さんだったか親戚だったか忘れたけど、カギュー派のところに出家したらしいんですよね。で、なんでカギュー派を選んだかっていうと、酒が飲めるからって感じで(笑)。そんな、それが理由かっていうのがあって(笑)。でもまあ、そういうところもあるんだね、実際ね。つまり神聖な本来の意味ではなくて、ちょっとやっぱり密教が煩悩肯定の意味に使われてしまう場合が実際多いっていうかな。だからそういうのは駄目なんだけど、じゃなくて、ほんとに覚醒した意識を保てて、で、燃えるようなエネルギーを覚醒の――つまり大楽に変えられる場合ね。
これはね、はっきり言うと、そういうシステムが体にできてるってことです。あの、ちょっとわたし、自分のことなんで、あまり本来は言いたくないけども、わたしは結構そういうシステムができてます。できてますっていうのは――システムってどういうことかっていうと、もう別に肉じゃなくてもいいんだけどね。もう食物を体に入れただけで、ちょっと瞑想をすると、まああるいは調子がいいときは瞑想しなくても、歓喜が発生するんだね。歓喜っていうか、甘露が実際は落ちるんだね。バーッて甘露が落ちます。この辺からこう、まあリアルに言うと、この辺からバーッと、このあたりから、液体状の気持ちいいのがバーッと落ちてくると。そういうシステムができてる人は――まあそのシステムをどれだけ完成しているかにもよるけども、それがもう完全に完成しているる場合は、逆にどんどんエネルギー放り込んだ方がいいっていうことになるんだね。なんでかっていうと、放り込み続けた方が甘露が大量に落ちるから。あるいはナーディーを貫くエネルギーの力が強くなるから。
しかし例えばその人が五十パーセントぐらいの達成率だった場合、例えばあるラインを超えると今度はそれが煩悩に変わったりとか、あるいは体の詰まりになったりする場合もあるかもしれない。その場合は、ああ、これ以上はあまりやんない方がいいですねってなる。あるいはまあ全然システムができてなかったとしたら、それはもう、なんていうかな、エネルギー過多になるだけだからね。全然システムができてないのに――さっきのミラレーパと逆でね、システムができているけどエネルギーがないんじゃなくて、システムができてないのにエネルギーだけ入ってるっていうのは、単なる煩悩の増大になってしまうだけだから。だからそういうのはほんとは駄目なんだけどね。
しかし、まあこの辺はねえ、皆さんでも多分、将来的には手の届く世界です。手の届く世界っていうのは、だからちょっと冗談みたいに言うとね、もしこの中で、肉が大好きであるとか、酒が大好きであるっていう人がいたら、ぜひ修行頑張ってください(笑)。将来的に大っぴらにそれができる日が来るかもしんない。ね。「あれ? Tさん、なんで酒飲んでるんですか?」「わたしはすべてをトゥモに変えられるんです」と(笑)。
(一同笑)
口で言っただけじゃ駄目だけどね(笑)。ほんとに、ほんとに全くトゥモによってね、飲めば飲むほどね、悟りが深まるのですと。ね。ほんとにそうなったら素晴らしいよね。だからそれはそれを目指して頑張ったらいい(笑)。もし飲みたい人はね(笑)。あるいは肉が好きな人はね。
はい。で、ちょっと次のところもいくと、それによって修行が進みましたと。まあそれ以外にも、徹底的にその熱のヨーガ、六ヨーガやマハームドラーの修行を進めて、偉大なる達成をなしたと。
で、ミラレーパの一つの特徴は、美しい歌、しかも悟りを表現する才能にあったんですね。
これはいつも言うけど、悟りの深さと、それから例えば表現力っていうのはまた別だからね。これはみんなもそういうの感じたことあるかもしれないけど、わたしもよく昔からいろんな本を読んで、例えばそうだな、チベットのなんとかリンポチェとかいってね、まあいろいろこう見ると、あっ、このリンポチェはもうほんとにすごいと思うんだけど、その人が書いた詩とか見ると、なんか分かりづらかったりとかする(笑)。つまり偉大な達成をしてるけど表現力がない人もいるんだね。まあおそらくその人は何か使命が違うっていうか、さっき言ったように、瞑想で祝福を与えるタイプの人なのかもしれないけど。しかしミラレーパは、ほんとにその言葉の力もとても優れてたんだね。それによって非常に、聞いただけで修行が進むような、聞いただけで心が純粋になるような詩をいっぱい残したんだね。これがミラレーパの特徴でしたと。
まあ実際に詩が素晴らしかっただけじゃなくて、声も美しかったっていわれてる。それによってね、多くの人を感化したといわれていますね。で、それはさっきも言ったように、ミラレーパの歌っていうのは現代までも残っているから。もう世界中に翻訳されてるんで。で、それによって、まあミラレーパのね、その素晴らしい悟りや慈悲の波動がここまでも届いてるっていうことですね。それがミラレーパの一つの特徴ですよと。
はい。それからまあ神通力ね、これもミラレーパのすごい特徴だと。ね。ものすごい神通力を表わし、まあしかしそれを大っぴらにみんなの前でやることはなかったんだけど、弟子の前で多くの神通力を見せて、それをみんなには秘密にしろって言ってたっていうとこですね。
はい。で、ここからあとは今度はミラレーパの最後の死のときのところになるので、じゃあ、いったん今日はね、これで終わりましょう。
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