「ミラレーパの生涯」第三回(9)
「心の本質的な性質が三つのカーヤであると瞑想したので、希望と恐れの思いを忘れてしまいました。」
これは高度な話ですけどね。三つのカーヤというのはいつも出てくる法身・報身・変化身といわれる――まあ言ってみれば密教とか大乗仏教においては、この法身・報身・変化身の三つのカーヤ、三身の完成をもって、まあ解脱というか完成というわけだね。でもそれはもともとわれわれが努力してそこに到達するというよりは、本来はわれわれの心の本性はこれなんだということですね。
で、本来は誰もが持ってるこの三つのカーヤといわれる状態を、まあ「瞑想したので」と書いてあるけども、おそらく実際には「それを体得したので」と言った方がいいかもしれない。それを体得したので、希望と恐れの思いを忘れてしまったと。
つまりこれはだから、その境地に入ったときっていうのは、もう希望とか恐れはないんだっていうことだね。
逆に言うと、われわれがやるべきことは、まあもちろんこの三身を得るために日々修行しなきゃいけないんだけど、もう一つのポイントとしては、この希望と恐れ、これを常になくすように努力しなきゃいけない。
つまりわれわれが本当に心の本性に覚醒したときには、希望とか恐怖は一切ないんだと。それを頭から離さないでください。
だから、なんかちょっとこうなってほしいなっていう希望とか、こうなっちゃうんじゃないかっていう恐怖とか、それがちょっと出たら、あ、これは仏陀の覚醒した心の本性からはずれていると。駄目だと、こんなのはいらないんだと。ね。こういう修習を日々するといいですね。
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