「ミラレーパの生涯」第三回(7)
「口伝の最勝の真理を瞑想したので、弁証法の書物のことは忘れてしまいました。」
仏教っていうのは、ある段階っていうかな、あるパートにおいては、非常に論争的な性格がある。例えば空の教えとかもそうですよね。まあだいたい、チベット仏教とかもそうだけど、そういうような経典とか論書がたくさんある。「空とは何か」と。それはこうであって、こうであって、いや、あの派の言うことは間違っていて、とかね。そんなことはあまり追究しても意味がない。じゃなくて口伝、つまり師から教わった修行をしっかりと修行することによって生じる、言葉を超えた真理をつかまなきゃいけないわけですね。で、それをつかんだならば、そのような学問としての論としての真理っていうのは全く意味がなくなってしまうというかな。
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