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「バクティ」第一回(4)


 はい、
「この世のしきたりも、さまざまな宗教的教えも、至高者への愛の手助けとなるものだけを行ない、至高者への愛に反するものは放棄する」
と。

 はい、これはいつも言うように、このバクティヨーガが出てきたときというのは、もともとインドに伝統的なヴェーダの教えその他があって――つまりヒンドゥー教っていうのはすごくしきたりを重んじるので、いろんな決まりを作るわけですね。いろんな決まりに則っていろんな宗教的なことをやんなきゃいけなかったりする。あるいはそうじゃなくて、宗教的ではない、世俗的ないろんなしきたりとか、いろんな常識とかがあるわけだけども――この世俗の意味でも、あるいは宗教的な意味でも、そういう観念にとらわれない。じゃなくてそれが神に結びつくのか、神への愛を増大させるのか、あるいはその邪魔となるのか、これだけですべてを決めるということだね。われわれの神への愛を増大させるものは、宗教的しきたりも、あるいは世俗的なしきたりも行なえばいいし、逆にその邪魔となるものだったら、それがたとえ伝統的な宗教的しきたりだったとしても、一切拒絶すると。放棄する。あるいはもちろん世俗的ないろんなものの中で、神への愛の邪魔となるものはもう一切放棄する。
 ――っていうのはさ、それしかないからです。われわれのこの世における価値っていうはそれしかないんだと。ね。自分のプライドとか自分の居心地とか、あるいは自分の観念とかもう全部放り投げていく。もうこの二つしかない。つまり、神への愛が増大するものは良しとし、神への愛の阻害となるものは悪しであると。もうこの観点しかないんだっていうことですね。
 だから、もう一回言うよ――世俗的なしきたりにしろ、あるいは宗教的なさまざまな観念的ないろんなしきたりにしろ、それは神への愛につながるんだったならば肯定し一生懸命行なう。逆に、神への愛の阻害となるような、邪魔となるようなものだったら、それが客観的に、あるいは一般的にどんなに重要なものとされようが、一切を放棄する、ということですね。

 はい。じゃあ、この辺で今日は読むのは終わりにして、ここもちょっとだけ瞑想しましょうね。この一文――「また、バクティは……」のところの一文をまた少しだけみなさん心で瞑想してください。

【瞑想中】

 はい、じゃあ瞑想終わって。はい、じゃあ最後にもし質問があったら質問を聞いて終わりにしましょう。

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