yoga school kailas

「スワミ・ダルメーシャーナンダとM」より抜粋

◎最初の出会い

 1920年か1921年に、わたしは友達のスレンドラナート・クンドゥと、シュリー・ラーマクリシュナの在家信者である兄のブーパティと共に、Mに会いに行った。
 そのときわたしは北カルカッタに住んでいて、シティカレッジの二年生であった。
 スレンドラはわたしに福音の第四巻のコピーをくれた。わたしはそれをたいそう熱心に読んだ。
 彼はまた、この本の著者がまだ生きていて、師の御言葉をその著者から直接聞くことができたらそれは素晴らしいことだとわたしに話してくれた。
 
 ある日の午後、スレンドラと私はモルトンスクールに行き、信者たちに囲まれているMに会った。
 彼はわれわれを、心を込めてもてなしてくださった。
 あれは雨期、ジャガンナートの山車祭の数日後であった。
 Mはジャガンナートのプラサード(ふくらし米)をわれわれの手にのせてくださり、こうおっしゃった。

「このプラサードをいただくと、人は神への信仰を得るのだよ。」

 わたしはたびたびブラフモー・サマージに通っており、さらに西洋の教育の影響下にあったので、そのような信仰は迷信であると思った。

 わたしはこう言った。

「はい、人は信をもってこのプラサードを食べれば、信仰を得るでしょうね。」

 Mはこうお答えになった。

「いいや、そのもの自体に確かな効果があるのだよ。どのようにしてあなたがこのプラサードを食べようとも、あなたの心は純粋になり、あなたは信仰と献身を得るのだ。」

「そのようなことがどうしてありえましょうか? 心がすべてでございます。心に何も信がないならば、どうやって信仰を得るとおっしゃいますか?」

「師は、どのようにしてプラサードをいただこうとも、信仰を得るのだとおっしゃっていたよ。」

「それは受け入れられません。」

 Mは厳粛になって、椅子を信者のほうに向けた。
 左手の人差し指でわたしをさして、彼は憤然とこうおっしゃった。

「師は『信仰を得る』とおっしゃった。
 でも、この人は師の言葉を受け入れない。」

 皆が口をつぐんでいた。
 スレンドラはわたしを見た。わたしはうなだれて黙っていた。自分の厚かましさを恥じていたのだ。
 
 それからMは親しみを込めて、わたしにこう話してくださった。

「お聞き。ドッキネッショルで、師はわたしにこうおっしゃった。

『山車祭は終わった。巡礼者たちがプリに帰って行くよ。
 おまえはハウラー駅に行って、いくらかプラサードをわたしのためにもらってきておくれ。』

 わたしはハウラー駅に行くと、師から言われたとおりに、汽車から降りてくる巡礼者を見つけ、物乞いのように『少しばかりプラサードをわたしにくださいませんか?』というふうに彼らに申し立てたのだ。
 いくらかの人は、身なりのきちんとした紳士がプラサードを乞うている光景を見て驚いていたよ。
 そしてまたいくらかの人は無視して足早に歩いて行った。
 しかし、ある人々がわたしの誠実さを見て取って、包みからふくらし米を少しばかりとってわたしにくださったのだよ。
 そのプラサードを師のところにお届けすると、師はたいそう喜ばれていた。
 
『神が喜ばれると、世界全体が喜ぶのだ。』

 わたしは本当に祝福を感じた。
 師はそのふくらし米を毎日一、二粒ずつお食べになっていた。そしてわたしにもそうするようにおっしゃった。
 彼の御言葉に信を持ちなさい。それだけが道なのだよ。」

 わたしはそのプラサードを一、二粒いただいた。
 その後、1924年からMを定期的に尋ねるようになり、わたしの浄信は徐々に育っていったのだった。

◎ヴェーダーンタ

 1931年、ある日の午後の早い時間(13:30あるいは14:00頃)に、わたしはモルトンスクールに行った。
 その頃わたしはウドボーダンに滞在しており、ほとんど毎日Mのところへ行き、彼が語る師(ラーマクリシュナ)の話を聞いていた。
 夕方になると、いつも彼は屋上のトゥルシー園で信者たちと瞑想しておられた。
 わたしはいつも自分のアーサナ(瞑想用の敷物)を持っていっていたのだが、ある晩それを持って帰るのを忘れてしまい、別の日の手の空いた時間にそれを取りに戻った。そしてMと会った。
 Mは一人が好きだったので、学校の建物の屋根裏部屋に一人で住んでおられた。
 しかし彼は、信者たちと師の話をするのもまた好きだった。
 彼はわたしを見ると、「どうか入っておくれ」と呼びかけてくださった。
 わたしが彼の部屋に入ると、彼はわたしに座るように言い、そしてわたしの幸福を訪ねられた。
 わたしはこう申し上げた。

「わたしはもう行かねばなりません。ウドボーダンでヴェーダーンタ(チャンドーギャ・ウパニシャッド)のクラスがあります。それに出席しなければならないのです。敷物を持って帰るのを忘れていたので、それを取りに戻ってきたのです。」

「どうかお座り。」

 Mはおっしゃった。
 しかしわたしは立ち上がり、彼に礼をした。
 わたしが帰ろうとすると、彼はこうおっしゃった。

「ディレンよ。すべてのヴェーダとヴェーダーンタは、師の御足のもとにある。人はその御足を瞑想することによって叡智を得るのだよ。」

 愚かにも、わたしは彼の言葉の深い意味を理解できずに、ウドボーダンへと帰ってしまった。
 後にわたしは、Mとの貴重な聖なるひとときを独り占めするチャンスを失ったことに気づき、嘆き悲しんだのだった。
 おそらく彼は、わたしの友人にやったように、わたしの心を高い意識の領域に引き上げてくださるおつもりだったであろうに。
 

(スワミ・ダルメーシャーナンダ)

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