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「スレンドラナート・ミトラ」(4)

 ある日スレンドラが彼の礼拝所で瞑想していると、ある考えが心に浮かびました。もし師が礼拝所にいる自分の前に現れたなら、彼をアヴァターラとして見よう、と。
 すると不思議なことに、彼は三度にわたって、師が礼拝所に現れるのをハッキリと見たのでした。彼のすべての疑念はここで完全に崩れ去りました。

 スレンドラは、職場では大変責任のある立場でしたが、彼はすべてを捨てて師のもとに行きたいという圧倒的な渇望を何度も感じるようになりました。

 ある日彼は、仕事がまだ終わっていなかったけれども、ドッキネッショルに行くために職場を出ました。到着したとき彼は、カルカッタに行くための準備をしていた師を見つけました。
 スレンドラを見ると師は、

「ここへ来たことは良いことだ。私はお前の事が気になって、お前に会うためにカルカッタに行こうとしていたのだよ。」

とおっしゃいました。

 スレンドラは師が自分のことを考えていてくれたことを大変嬉しく思い、同時に驚きました。

 彼は謙虚に、

「もしあなたが私に会うために外出なさろうとしてくださっていたのなら、 どうか私の家にいらしてください。」

と言いました。

 師は同意して、祝福するために彼の家に行きました。

 スレンドラの師に対する愛は、深く深く成長していました。師もまたスレンドラを心から愛しておられました。

 師はスレンドラナート・ミトラのことを、スレンダルとか、時々はスレシュとお呼びになったり、「神の力を半分与えられた者」などともおっしゃいました。
 そしてスレンドラは、食事や寝具などを師への奉仕として準備したり、夜、ドッキネッショルに滞在して、師に奉仕をして過ごしたのでした。

 ラーマクリシュナは、スレンドラの心を理解していました。
 Mは著書「ラーマクリシュナの福音」の中で、1885年2月の以下の談話を書き留めています。

「師(スレンドラに):時々はここへ来なさい! かつてはナーガの真鍮の水差しは、 毎日磨かれねばならない、さもないと汚れてしまうと言ったものだ。
 ひとつの手段としては、現世を放棄した修行者たちと絶えず暮らすべきだ。
 『愛欲と金』を放棄することは、サンニャーシンのためなのだよ。それはおまえのためではない。時々は一人で過ごし、心から真剣に神を求めるのだ。放棄は心においてすべきだ。
 チャイタニヤは、戒律を修習すること、奉仕をささげること、神の御名を唱えることは、あなたが平安に暮らすために必須だとおっしゃった。
 なぜこのことを、お前に全部言わねばならないのか。お前は商売人の職場の中で働いている。これをお前に言うのは、お前はこれら多くのことをする義務があるからだ。
 お前は職場で嘘を言う。なのに、なぜ私はお前がくれた食べ物を食べるのか?
 それは、お前が稼いでいるよりも、ずっと多くのお金を慈善に出しているからなのだよ。
 『瓜の種は、より大きな果実になる。』ということわざがあるように、私は欲深い人々から与えられる食べ物は、何も食べることができないのだよ。
 これらの富は、このような方法で浪費される。『まず訴訟、次に盗みと強奪、3つ目は医師、4つ目は不道徳な子供たちによる放縦』――このような感じだ。

スレンドラ:私は時々、繰り返し母なる神の御名を唱えているのですが、 良い瞑想に入れません。
 ベッドに横になるときは繰り返し、彼女の御名を唱えて眠りにつくことにしています。

師:それで十分ではないか。おまえは彼女のことを覚えているではないか。」

 スレンドラはドッキネッショルにおいて、ラーマクリシュナの弟子の何人かが、師の指導に沿って霊的修行をしているのを見ていました。
 自然な流れで、彼はその輪の中に入り、同じようにしてみたいと欲するようになりました。
 彼は自分の計画を師に知らせた後、ある日、ドッキネッショルに寝具と私物を持って来て、二、三夜を過ごしました。
 しかしながら、彼の妻はこのことに大いに動揺しました。彼女は彼に、

「あなた、昼間はどこに行こうとも構わないけれども、夜は家から出ないようにしてちょうだい。」

と言いました。
 けれどもスレンドラの妻は、彼が夜ドッキネッショルで過ごすということを妨げることができませんでした。
 彼の心は神を求めて泣いていたのです。
 彼の体が家にあるときも、心はいつも師とともにあったのでした。

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