「サットヴァ性を強めよ」
◎サットヴァ性を強めよ
(U)その右と左が平行して起こる、ということはないですか?
平行しては起こらないね。
(U)ということは、完全に終わってから……
ただそれもね、さっき言ったように、本当の意味での浄化は平行しては起こらない。ただし全ては、例えばだけど、レベル5で浄化終了としてね、右が今レベルに3入ってますと。レベル3の道を進んでますと。でも同時に、左がレベル1ぐらいで、小さく、スーッて上がるぐらいは上がるんです。そういう意味では同時に起こるとも言えるんだけど、本格的に中心的になるのは一個一個だね。だから今右を中心的に浄化してるんだけど、真ん中と左もちょろちょろとは動いてるという感じだね。中心的なのは、まず、右、左、真ん中とか。まあ女性の場合逆だけど。
(U)自分で、片方が終わったらもう、明らかに分かるんですか?
それはね、その人のサットヴァ性による。
(U)ああそうか、タマスだったら分からないと(笑)。
ここちょっと複雑なんだけど、修行が進んでる・進んでないということと、サットヴァかタマスかっていうのはまた別問題。つまりタマスだった場合、例えば車で進んでると。しかしライトがついていないと。これはタマスで修行が進んでる場合。これは進んでるのか進んでないのかといったら、進んでるんです。でもタマスだから見えない。よくいるタイプで、見る人が見たら、お、この人相当修行が進んできてますねと。かなりいいところ行ってるなと。でも本人は何も感じないと。これは修行が進んでいるけどタマスというパターン。
で、サットヴァの場合は最初から――まあ私はね、自分で言うのも何だけど、最初からいろいろ経験をしていた。これはサットヴァだね。しかしだからといって、それが進んでいるかどうかは別なんです。ただ見えるっていうだけなんです。いろいろ、「あ、エネルギーここまで来たな」と。「あ、経典に書かれているとおりだな」と。よーく、非常に分かりやすく経験する。でも何にも経験しないんですという人と私と、どっちが進んでいるかはわからない。一方は自分が分かっていないだけで、実はすごく進んでいるかもしれない。
サットヴァのタイプっていうのは本当に分かりやすい。もちろん、サットヴァがいいんですよ。なぜかっていうと、自分の状態がわかれば、次の対処とかいろいろしやすくなってくる。
だからタマスだなって思う人は、いろんな方法でサットヴァにしていくしかないね。まあ、それは難しいんだけど。――例えば肉体的にいったらもちろん浄化法をやるとか、あるいは呼吸法をやるとかがいいんだろうけど。
例えば全てを覆い隠すタイプの人。これはタマスになります。だから嘘をよくつくとか、嘘はつかないんだけど例えば「自分の嫌なところを隠しておきたい」とか、「出来るだけこれは明らかにされたくない」って隠しちゃうタイプの人ね。この人は当然、隠す、タマスのエネルギーが強くなります。
あるいは、真理とか正しいことを探究したがらない人。ちょっと怖いから置いておく、とか。そういうタイプの人がいたらタマスのエネルギーが強くなるね。
サットヴァってね、悟りじゃないんだけど、サットヴァの性質が強い人って、もし皆の周りにいたら、そいつは必ずしも「いい奴」じゃないかもしれない。例えば学校のクラスで、「あ、お前何やってんの? 駄目だよ、それ、こうだよ」と。「お前何、昼休みじゃないのに、弁当食ってんの?」とか、間違ったことが許せない奴――のタイプになる場合がある。これは人によるけどね。そうじゃない場合もあるけど。
必ずしも、良い悪いじゃないんです、サットヴァって。ただ「明らかにする」っていう性質なんです。
タマスっていうのは隠すから、逆にタマスの奴のほうがいい奴に見えることがある。「いいよ、お前」と。「頑張れ」と。「お、それ俺黙っててやるから」とかね(笑)。いい奴っぽいんですよ(笑)。
ラジャスはやっぱり嫌だっていうか、ちょっと、怒りっぽいから、ちょっと嫌われるかも知れないけど。まあCさんみたいなラジャスだったらまだいいけどね。ちょっとこう、いつも興奮しているような感じ。
そういう意味ではK君なんかはサットヴァ的かもしれないね。「お、先生、これこうじゃないですか? こうじゃないですか? こうじゃないですか?」「分かった!」とか(笑)、サットヴァ的かなと。心で思ったことをバンバン言う、とかね。
タマス的だったら、隠そうとするわけだね。「あ、これはいい事考えたけど、今日は言うのやめとこう」とか。
(一同笑)
だからそれは良い悪いは場合によるんだけど、修行っていう意味ではサットヴァ性を強めたほうがいい。
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