「グル・リンポチェ」(1)
聖者の生涯「グル・リンポチェ(大聖パドマサンバヴァ)」
◎序文
グル・リンポチェは、インド仏教の最も偉大な成就者の一人であり、チベットにおける仏教の開祖といってもいい人物です。蓮の花から生まれたウッディヤーナのグル、パドマサンバヴァとして知られています。チベットでは一般的に偉大な師グル・リンポチェとして親しまれており、ニンマ派の人々は彼を第二の仏陀として敬っています。
プラヘーヴァジュラ、マンジュシュリーミトラ、シュリーシンハ、ジュニャーナスートラ、ヴィマラミトラ、そしてグル・リンポチェと彼の仲間達および多数の弟子たちは、仏陀または高い悟りの境地を得た存在の顕現であり、彼らの生と寿命には、普通の人間のような限界はありませんでした。
偉大な成就者の形をとった仏陀の顕現は、非常にまれではありますが、時々、世界の歴史に登場します。プラヘーヴァジュラ、マンジュシュリーミトラ、シュリーシンハ、そしてジュニャーナスートラは、死後まったく遺骸を残さず、身体をダルマカーヤへと溶解させました。彼らは寿命をコントロールすることが可能であったため、何世紀にも渡って生き続けました。ヴィマラミトラは、彼のニンティクの瞑想に対する学識と専心の結果として、偉大なる変容の身体を達成しました。そして彼はいまだその光の身体を保っており、この先何百年も、その形に留まるといわれています。
そして、グル・リンポチェも――彼は無量の光の仏陀、アミターバ如来の顕現でした――生きとし生けるものへの慈悲のために深遠な鍛錬を追求する、強力な人物として顕現していました。彼もまた、偉大な変容の光の身体であると考えられています。
これら成就者たちの成果は、人間としての肉体の単なる長寿や、アストラル体の獲得ではなく、悟りの身体の達成や、仏性、内在する覚醒の自己発生的な光明にありました。私たち一般の人間は、光の身体をそれそのものとして見ることは不可能ですが、その恩恵を受ける機会がある時には、わたしたちの心の本性に基づいた形としてみることができます。
数々の奇跡を示したり、何世紀にも渡って生き永らえたりする成就者たちの話を耳にするとき、ほとんどの古代文明や宗教が、超人的存在に関わる出来事や、超常的達成、例えば長寿や、物質的力によるものではなくその内在する崇高さと瞑想の力の結果として示される奇跡的な力を記録として残しているにも関わらず、われわれの多くはその事実を受け入れることに躊躇します。また、成就者の奇跡や長寿の話を好んで読みますが、その信憑性を認めない人々もいます。
今日、われわれは、古代においては考えられなかったであろう数々の物質的奇跡を目撃しています。しかしわれわれは外界の物質世界の単なる奴隷となりつつあり、自身の中に潜む内在的な力は失われようとしています。 問題は、未知の難解な力などではなく、まるで財産を隠して物乞いする者のように、元々潜む自身の内なる真の力を、それについてまるで知らない者へと、われわれ自身で変えてしまっているということです。
ところで、なぜ仏陀の顕現たちは、わざわざこの世でもう一度勉強する必要があるのでしょうか?
もしグル・リンポチェのような偉大なる師たちが仏陀の顕現であるなら、なぜ修行を行ない、様々な障害に直面しなければならなかったのでしょうか?
それには二つの要点があります。
その一つは、仏陀の化身は、何であれ顕現した形や役割を完璧に演じ、行動するということです。もし彼らが社会的奉仕の役割として顕現すれば、たとえ彼らが仏陀の化身であっても、食品や住居、医療を提供したり、道徳観や家族愛を強めるために働く人となることによって、その役割を遂行するでしょう。それ故、もし偉大な成就者たちが密教の師として顕現するならば、彼らは生徒として勉学に励み、瞑想家として修行し、成就者と同じように目的を遂行するのです。ちょうど、ある金属でスプーンを作ってもそれがスプーンとして機能したり、ある金属で装飾品を作っても、それが貴重な鉱物で国の財宝の一部として保存されたかもしれないことなどに関わらず、装飾品としての役目を果たすように。
二つ目には、さまざまな顕現、ニルマーナカーヤは、仏陀の望みではなく、彼らが奉仕するべき人々の望みに従い、ふさわしい形で現われるということです。たいてい普通の人間は、その顕現の最高状態を見たり感じたり感受するための気質やカルマを持ち合わせていません。彼らのカルマや感情の本性に準じて、顕現の役目もまた制限されます。 グル・リンポチェのような偉大なる成就者でさえ、ほとんどの人々には、彼は偉大なる変容である光の身体ではなく、普通の肉体かまたはそれに近い形として見られていました。チベットのティソン・デツェン王が、グル・リンポチェの光の身体の事実を信じなかったとき、グル・リンポチェはそれを証明するために、王に自分を殴るように強要しました。王はグル・リンポチェに三度こぶしで殴りかかりましたが、一度も彼の体に触れることはできず、こぶしはただ彼が座っていた椅子に当たっただけでした。
プラヘーヴァジュラやグル・リンポチェのような偉大な成就者たちは、仏陀の顕現であるだけではなく、成就者の素質を持つ優れた存在として顕現していました。彼らは非凡なパワーと智慧を授かっており、彼らのような成就者たちは、聴衆である弟子たちの必要性とカルマや精神性に応じて、様々なものを一つのところに引き入れたり、水と火のように相反する元素を調和させるなどして、様々な形で彼らのパワーを示して見せました。これらすべての奇跡的な現われは、時と場所と多くの人の熟したカルマが結合することによって、可能だったのです。
なぜたくさんの成就者の、異なるさまざまな生があるのでしょうか? 特にグル・リンポチェの生涯は、おそらく精神世界のあらゆる歴史の中で最も奇跡的な生涯の一つであり、そのため非常に多くの異なる生涯のストーリーがあります。異なるストーリーがあるからといって、いずれかひとつの話が正しく他は間違いであるということではありません。成就者の生の顕現は、最も適切な方法で人々に仕えるために、異なる場所で異なる人々に違う形で現れました。多くの機会に、単独の顕現は、同一の瞬間に異なる形で別々の人々によって確認されました。これは成就者の神通力によるものであり、幻影の姿や時間、通常の現象の究極のコントロールによるものです。これこそが真意であり、それは完璧に完成した師たちの非凡な力や祝福の偉大なる源であり、賢明で視野が広く敬虔な人々のための肯定的パワーになります。
偉大な学者や偉大なテルトンたちによって書かれた、非常に多くのグル・リンポチェの異なるタイプの伝記の中には、一般市民にも理解しやすいものが多数あります。それらの情報源に沿って、グル・リンポチェの生涯の簡単な説明をしていきましょう。