「クンダリニー・ヨーガとは」
◎クンダリニー・ヨーガとは
はい、このクンダリニー・ヨーガの話っていうのは、教えというよりは、皆さんが実際に経験していく話の説明でもあるので、途中でね、いろいろもし質問とかあったらどんどん言って下さい。
私としては、皆さんは一体何を知りたいのだろうか、どこが疑問になるかなとか考えながら話をするので、もし質問とかあったらどんどん言って下さい。
(S)はい、よろしいでしょうか。私、あの、クンダリニー・ヨーガの話というのは初めて聞いたんですけれども、ハタ・ヨーガとかラージャ・ヨーガとか、あのあたりとはどういう関係になるのでしょうか、具体的に。
そうですね、その辺から話すと、まずヨーガというのは、そもそも本来のヨーガというのは、いかに自分が悟るか、というか、仏陀になるとか解脱するかっていう道があるわけですね。
大昔のヴェーダとか、つまりお釈迦様以前、お釈迦様以前のインド宗教というのは儀式が中心だったといわれていますね。儀式が中心というのは、神にお祈りして守ってもらったりとか、あるいはいろいろな悪い障害から守ってもらったりとか、願いを叶えてもらったりとか。
じゃなくて、お釈迦様が活躍した時代ごろから、いや、神々に儀式で現世的幸福をお願いするのではなくて、我々自身がしっかり修行して解脱して悟りを得て真理を直接つかむんだ、というそういう道がどんどん展開していったんですね。
それはひとつは仏教という形でどんどん展開されていくわけですが、ヒンドゥー教においてはウパニシャッド、そしてヨーガというかたちで展開していきます。
そしてヨーガ派の教えが経典としてしっかり体系化されたのが、パタンジャリのヨーガ・スートラですね。このヨーガ・スートラのヨーガを、一般にラージャ・ヨーガというんですね。
このヨーガ・スートラというのは、まず戒律を守って、徳を積んで、そういった基礎をまず作った後に、しっかりと座法を安定させて、呼吸法をして心を安定させて、瞑想に入りましょうと。
ラージャ・ヨーガの瞑想っていうのはまさに精神集中、そして精神集中の深化。深化っていうのは深まり――があって、拡大があって、で、サマーディに入ると。これは集中力によって解脱するプロセスなんです。
これはだから最も単純なヨーガっていうのは、皆さんにもたまにやらせているけど、自分の心臓に集中しなさいと。なぜかというとこの心臓は、真我、本当の自分、つまり解脱によって到達する世界へのアクセスポイントなんだって考えるんだね。グーッと集中する。そうすると集中力が強ければ、普段気がつかない潜在意識の中にグーッと入っていって、さらに強ければより深いところに入っていって、ガーッと入っていって最後のところに到達しますよと。これをやっているのがラージャ・ヨーガなんだね。
これは最も原初的なヨーガなんだけど、そんなの出来ないという時代になってきたわけだね。つまり多分、人間の質が悪くなってきたんだろうね。いや、ほんとに(笑)。
仏教もそうなんだけど、仏典とか見ると、お釈迦様の弟子というのは、例えば長くて数年なんだけど、オーソドックスで例えば7ヶ月で悟ったっていう人がいっぱい出てくる、例えば。で、中には本当にもう3日ぐらいで悟る人もいるし、お釈迦様の教えを聞いただけで悟った人もいる。あるいはお釈迦様の二大弟子のサーリプッタとモッガッラーナに至っては、お釈迦様と会う前に、お釈迦様の教えを人伝えに聞いただけで悟った(笑)。すごい時代だったんだろうね。すごい時代だったんだろうけども、だんだんだんだん、そんな簡単に心の中心に集中したって悟れない時代がやってきた。
よって、仏教は全部複雑化するわけだけど、ヨーガも全部複雑化するわけですね。いろんなタイプのヨーガが必要になってきた。で、そこで皆がよく聞くような、ジュニャーナ・ヨーガとかバクティ・ヨーガとかカルマ・ヨーガとか、いろいろ発達しだしたんです。もちろんこれらのタイプのヨーガももっと以前からあったんだけど、それぞれがより洗練されてまとめられていった。
簡単に言うと、ジュニャーナ・ヨーガは、思考によって、思索によって悟ると。
バクティ・ヨーガは、神への帰依心、帰依によって悟ろうと。
カルマ・ヨーガは、自分の人生を全力で、真理に則ってしっかりと行動して悟ろうと。
その他いろいろなタイプのヨーガが出てきたわけですが、その中でハタ・ヨーガというのが出てきたわけですね。このハタ・ヨーガっていうのが、いわゆる肉体的操作によって悟ろうと。つまり皆がやっているようなアーサナとか呼吸法とかムドラーとかいうのを重視して、そこを入り口にして悟ろうと。
まあ、肉体っていうのうは、仏教ではそれは無常であるとか不浄であるとか言って否定する。もちろんヨーガでもそういう傾向があるんだけど、しかし一応我々の魂の乗り物であり、我々が生きていく上で使っているこの肉体というものを使わない手はないと。利用すればいいじゃないかと。
代表的な考え方としては、呼吸と心は連動するという考えがある。例えば心が緊張している時とか落ち着いていない時は呼吸が荒くなる。心が安定すると呼吸も安定すると。ということは、逆に呼吸を安定させればいいじゃないかと、ね。呼吸を安定させれば心も安定するんじゃないかっていう発想があるんだね。これはプラーナーヤーマの発想ですね。
だからそれと同じように、身体の操作によって、身体をきれいで整った状態に変えていけば、心が安定してその後の瞑想とかも深まるという考え方がハタ・ヨーガの一派ですね。で、いろんな修行体系を編み出していって、ハタ・ヨーガっていう全体のものが出来たと。
ただ、ハタ・ヨーガっていうのは、つまり肉体を使うヨーガ全体をハタ・ヨーガというんです。皆がイメージしているヨーガって全部ハタ・ヨーガなんだね。普通現代でヨーガっていうとまず肉体操作ありきって考えるじゃないですか。それはだからハタ・ヨーガなんだね。つまり肉体を使わないヨーガのほうが多いんです、本当は。
でもこのハタ・ヨーガというのは一番欧米に受け入れられたわけですね。なぜかというと、欧米人というのうは当然キリスト教をまず持っていて、他の信仰に変える気はないと。多くの人はね。でもハタ・ヨーガというのは信仰がいらない。それからジュニャーナ・ヨーガというのは頭良くないと駄目なんです、相当。でもハタ・ヨーガは頭が良くなくてもいい(笑)。体動かせばいいから、ね。それと、その周辺の要素がいらないというか。ただ体動かしていれば、しかもハタ・ヨーガというのは悟りまでいかなくてもまず健康になると。ね。しかも体も気持ちよくなって、いろいろな能力とかもついてくると。これは素晴らしいっていうんで欧米にどんどん広がっていったのがハタ・ヨーガなんだね。だから今はヨーガというとハタ・ヨーガを指すようになったと。
そして、ハタ・ヨーガっていうのは今言ったように肉体を使うヨーガ全体を指すわけですが、その中でもより高度な領域、つまりクンダリニーとかあるいはチャクラとか、そういった領域を使って速やかに解脱しようっていう考えがクンダリニー・ヨーガなんだね。
-
前の記事
「三本の気道」 -
次の記事
「エネルギーそのものに焦点を当てた修行」