「クンダラ」
クンダラ
クンダラは過去世において世尊ヴィパッシンの時代に生まれ、世尊ヴィパッシンが空を飛ぶのを見て、浄信によって、世尊にココヤシの実を供養したいと思った。世尊は彼の心を知り、空から降りてきて、その供養を受けた。そして彼は世尊ヴィパッシンのもとで出家した。
そしてそこで死んだ後、彼は天界と人間界を流転し続け、世尊釈迦牟尼の時代に、サーヴァッティのブラーフマナの家に生まれ、クンダラと名付けられた。彼は成年になるとお釈迦様のもとで出家したが、心の散乱が多すぎて、殊勝なる境地に入ることがなかなかできないでいた。
ある日、クンダラが托鉢のために村に入ろうとしていると、道の途中で人々が地面を掘って水路をつくり、それぞれ望む場所に水を引いているのを見た。
そして村に入ると、ある一人の矢作り職人が、矢柄を道具にかけてから、片目で眺めてまっすぐにしているのを見た。
さらに先に行くと、車輪の部品を作っている車大工たちを見た。
そしてその後、クンダラは精舎に帰って食事を終え、鉢と衣をしまって昼の休息のために座りつつ、先ほど見た様々な光景を比喩であるととらえて、こう考えた。
「心のない水さえをも、人々はそれぞれ望むところへ導く。
心のない曲がった矢柄さえも、手立てをもって調整してまっすぐにする。
心のない木材などを、大工たちは車の車輪などのために曲げたりまっすぐにしたりする。
それなのに、なぜ私は自分の心をまっすぐにしないのだろうか。」
このように自分が見たもろもろの光景を契機として瞑想修行を進め、ついにはアラハットの境地に到達した。
そこでクンダラは、次のような詩を唱えた。
「水道を作る人は水を導き、矢を作る人は力をこめて矢を矯め、大工は木材を矯め、慎み深い人々は自己を整える。」
-
前の記事
シャブカルの生涯(20) -
次の記事
菩薩の道(5)その7「第二禅」