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「アドヴァヤヴァジュラ(マイトリーパ)」

 アドヴァヤヴァジュラは、中部インドのジャータカラニーという町で生まれ、幼名をダーモーダラといいました。

 彼は11歳くらいの時に、サーマ・ヴェーダを半分理解し、出家して、マルタボーダという名前の出家修行者になりました。マルタボーダは最初、ヒンドゥー教の教えを学んでいましたが、その後、密教行者ナーローの弟子となり、20年間にわたって、仏教の教えを学びました。

 その後もマルタボーダは、各地を遍歴してさまざまな師の門を叩き、仏教の教えを顕教・密教にわたって広く修めました。その後、正量部(上座部系から分派した部派)の僧院にて出家し、マイトリーグプタという名前になりました。彼はそこで原始仏教系の論・経・律を、四年間にわたって学びました。つまり彼は、原始仏教、大乗仏教、密教のあらゆる教えを、30年以上かけて学んだのでした。

 ある夜、マイトリーグプタの夢にターラー女神が現われ、「カサルパナという地に行きなさい」と告げました。そこでマイトリーグプタは僧院を出てカサルパナに行き、一年間滞在しました。するとまた夢でこのようなお告げがありました。
「お前はダクシナーパタ(南インド)にあるマノーバンガ・チッタヴィシュラーマ双山に行きなさい。そこに主シャヴァリがいます。彼があなたを受け入れてくれるでしょう。またその道中でサーガラという者と出会うでしょう。彼とともに行きなさい。」

 そこでマイトリーグプタが早速旅に出ると、夢のお告げどおり、サーガラに出会いました。しかし、マノーバンガ・チッタヴィシュラーマ双山というのがどこにあるのかわかりませんでした。マイトリーグプタはシュリーダーニヤという地に一年間滞在した後、ウドラ・デーシャという地で、ターラー女神の成就法に励みました。すると一ヵ月後、「行きなさい。西北の方角に双山はあります。15日で至るでしょう。」というお告げを受け、マイトリーグプタは大勢の者達とともに西北へ向かい、マノーバンガ・チッタヴィシュラーマ双山に着きました。

 マイトリーグプタはその山の上で、マンダラを作り、心を一点に集中して瞑想に入りました。しかし十日経ってもグル・シャヴァリが現われなかったので、マイトリーグプタは今生でシャヴァリに会うことに絶望し、喉を切って自殺しようとしました。するとその瞬間、シャヴァリのヴィジョンが現われて、マイトリーグプタにイニシエーションを与えました。このときからマイトリーグプタは、アドヴァヤヴァジュラという名前になりました。

 その後、アドヴァヤヴァジュラが法友サーガラとともに修行を続けていると、シャヴァリの妃であるパドマーヴァリーとジュニャーナーヴァリーが現われ、
「殺生などの幻を現わせ」
というシャヴァリの言葉を伝えました。するとサーガラはたちどころに化身(密教修行で作り出す、神秘的な身体)を現わし、その修行を成就しました。

 しかしアドヴァヤヴァジュラは、化身の修行を成就することができませんでした。シャヴァリは、
「それはお前に、まだ分別が生じているからだ」
と教えました。
 シャヴァリは普段、山で鹿を殺して修行していたといわれます。シャヴァリは最初は本当の猟師だったのですが、修行を成就してからのシャヴァリは、本当に鹿を殺していたというより、分別を滅して無分別の智慧の境地に達することの象徴として、鹿を殺す猟師の姿で現われていたのでした。しかしアドヴァヤヴァジュラはその深い意味を理解することができず、観念的分別によってグルに不信の念を起こし、成就のチャンスを逃してしまったのでした。

 シャヴァリはアドヴァヤヴァジュラに言いました。
「お前は今はシッディ(成就)を得られない。衆生のために、説法と、教えの解説を行なえ。ヴァジュラヨーギーニーの教戒によって、お前は今生でそれを行ない、そしてその果報を得るだろう。」
 そしてその教戒をアドヴァヤヴァジュラに説いた後、シャヴァリは姿を消しました。

 こうしてアドヴァヤヴァジュラは山を降り、自らが受けた教えの伝道に努めました。

 後にチベットからインドにマルパがやってきました。マルパの根本的なグルはナーローでしたが、マルパは他の多くの師からも教えを受け、このアドヴァヤヴァジュラからも教えを受けました。チベットではアドヴァヤヴァジュラは、マルパの師の一人、マイトリーパとして知られています。

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