「アドブターナンダ」(11)
あるサンスクリット詩人は、理想の人格像を称えて、
「それは雷電のように厳しく、花のようにやさしくあらねばならない」
と書いています。
アドブターナンダの第一印象は厳格で、ぶっきらぼうで、ときには近づきがたく感じるものでもありましたが、ひとたびその外面を通り過ぎると、その内面は柔和と優しさの権化であることを、皆知るのでした。
彼は気まぐれではありますが実はとても気さくで付き合いやすく、子供たちでさえ、彼に会いたがり、彼の肩に登ったりして遊んでいました。
あるとき、スワーミー・プレーマーナンダは、アドブターナンダをまだよく知らない親しい信者の一人にこう言いました。
「怖がることはない。あなたはアドブターナンダの恩寵を受けている。あれほど情け深い修行者は滅多にいない。彼と同じ空気に触れるだけでも、あなたは清められ、祝福されるだろう。」
アドブターナンダは信者たちに、面白おかしい冗談や物語を通じて教えを与えることもあれば、厳しい叱責や沈黙を通じて教えを与えることもありました。ある日、ある信者がアドブターナンダにこう言いました。
「マハラージ、あなたのお叱りは、銃剣の形をしたチョコレートのようです。とても優しく、情愛があります。親は子供に良かれと思って叱りますが、あなたのお叱りはなお甘いのです。」
1912年10月、アドブターナンダは、カルカッタのバララーム・ボースの家を去り、ヴァラナシへと向かいました。この後、カルカッタには二度と戻りませんでした。
出発の直前、彼は永い間暮らしたその部屋をじっと見つめ、
「マーヤー(幻影)、マーヤー、マーヤー!」
と言うと、ラーマクリシュナに礼拝して、部屋を出ました。
カルカッタの駅で、アドブターナンダとの別れを悲しむ一人の信者が、アドブターナンダを迎えました。アドブターナンダは彼に言いました。
「さあお前、私の出発を悲しむな。あそこに聖なるガンガーが流れている。母なるガンガーは、悲しみに沈んだ寄る辺なき魂を救ってくださる。できる限り頻繁に、ガンガーの土手に座りなさい。修行者のそばにいれば清められるという。母なるガンガーのそばにいるのも同じことだ。あそこで瞑想しなさい。祈り、マントラを唱え、数珠を繰りなさい。そうすれば、心と肉体が清められるだろう。
不安に襲われたときは、いつもあそこに行って、静かに座りなさい。そうすれば、心が落ち着いてくるのがわかるだろう。ガンガーの波を見つめているうちに、あなたの心の波も静まるだろう。」
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