「アドブターナンダ」(終)
アドブターナンダは、生涯最後の八年間を、聖地ヴァラナシで、町のあちこちに滞在しながら過ごしました。彼は毎日深い瞑想に没入していたので、睡眠時間や食事の時間などは全くの不規則でした。
この世を去る時期が近づくにつれ、アドブターナンダは、次第に世間から身を引きつつあるように見えました。彼はだんだん少しの人としか話をしないようになり、話すときは高い世界の話しかしないのでした。
かつてはきわめて壮健であった彼の肉体は、年齢によって、そして永年にわたる厳しい修行と、物質世界への無関心な態度によって、次第に弱くなっていきました。
アドブターナンダの生涯の最後の年、彼の足に疱疹ができました。それをしっかり治療せずにほうっておいたため、ついには壊疽が生じました。
ある一人の信者がそれを心配し、医者を連れてきました。その医者が傷を手術したので、症状は一時的によくなりました。
その信者は手術後の数週間、アドブターナンダを看病しました。しかしその信者の中に一抹の自尊心があるのを見て取ったアドブターナンダは、彼に言いました。
「君は私に仕えてくれているが、それを人に自慢してはならないよ。
人は、神、グル、そして病人に対して、大きな愛と謙遜とをもって仕えなければならないということを覚えておきなさい。」
このころ、ヴァラナシにあるラーマクリシュナ・ミッションに滞在していた、兄弟弟子のスワーミー・トゥリヤーナンダが、しばしばアドブターナンダのもとを訪れました。しかし彼はいつもアドブターナンダと一切話を交わすことなく、ただ黙ってじっと一時間ほど座って、そして去るのでした。
不思議に思った一人の信者が、なぜ何も会話をしないのかとトゥリヤーナンダにたずねると、彼はこう答えました。
「ラトゥ・マハラージ(アドブターナンダ)はほとんど常に深い瞑想に入っておられる。どうして私と話せるだろうか? だから私はしばしの間ただ黙って座り、彼とともにいる神聖なひとときを楽しんで、そして去るのだ。」
あるときは、スワーミー・サラダーナンダが、カルカッタからわざわざアドブターナンダをたずねてきました。彼はアドブターナンダの足の塵を取るという最上の礼拝をした後、言いました。
「やあ、サードゥ。調子はどうかね?」
アドブターナンダは答えました。
「肉体があるというのはわずらわしいことだ。」
後で、ある僧が、なぜこのときサラダーナンダがアドブターナンダの足の塵を取るという最上の礼拝をしたのかとたずねました。サラダーナンダは答えました。
「ラトゥ・マハラージは私たちの誰よりも早く師のもとに来た。彼は出家弟子の中で一番の先輩なのだ。敬礼をして当然ではないか?」
アドブターナンダは、死が近づくにつれ、次第に人間関係の束縛を断ち切っていきました。彼はしばしば、このように口にしました。
「私はこれこれの人とのマーヤーを切った。
私は信者たちの重荷をいつもになわなければならないのだろうか? 世間から心を退かせるときには、私は彼らのことを考えない。」
アドブターナンダは、正式には生涯一人の弟子も持ちませんでしたが、死が近づいたころのこれらの言葉から、実際は常に信者たちの重荷をにない、他者の喜びや悲しみを心の深くで分かち合っていたことがうかがえたのでした。
死が近づいたある日、アドブターナンダはこのように言いました。
「神と結ぶことのできる関係には三つある。
『私の神』、
『私は神』、
『私は神のもの』。
――このうち、最後のものが最もよろしい。なぜなら、自尊心を誘わないからだ。」
あるとき、ついに、疱疹に再び壊疽が生じました。医師たちは数日に渡って何度も手術をしましたが、今回は不成功に終わりました。どんどん傷が悪化し、肉体が衰弱していく間も、アドブターナンダは全く、痛みを感じたり苦しむ様子は見せませんでした。そして1920年4月24日、アドブターナンダはこの世を去ったのでした。
彼の死後、スワーミー・トゥリヤーナンダは言いました。
「私たちはこの償うすべのない喪失で、さびしくなりました。
実に、私たちはラトゥ・マハラージという霊性の巨人を失ったのです。
彼は、真に熱烈なラーマクリシュナの帰依者でした。そして彼の無学と素朴な生活は、そのための最も大きな助けとなったのです。」
スワーミー・ブラフマーナンダは、こう言いました。
「彼の外観は粗野だが、内面は愛と優しさそのものだった。
彼とほんの数日でもつきあえば、彼には全く自己中心的なところがないことがわかっただろう。
前世でよほど功徳を積んでいなければ、あれほどの修行者と近づきになれるものではない。」
アドブターナンダに心から帰依していたビハリラル・サルカルは、こう言いました。
「偉大な霊的人格と接することで、人は必ず何かを得ます。
ラトゥ・マハラージと接する幸運に恵まれた人は誰でも、はっきりとしたものを受け取りました。彼とともにいると、高められました。
何千もの僧の中からも、その生涯をあれほど完全に神にささげた人、放棄と純潔のあれほどの模範となる人を探すことは難しいことです。」