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☆特別の加行

☆特別の加行

一般に最高の加行は、パーラミターヤーナとマントラヤーナの共通の道を修習することと、正しいアビシェーカを授かることと、根本と支分の諸々のサマヤを正しく遵守することであるから、それに対して確信を得るべきである。

 そしてさらにマントラヤーナの特別の加行として、グルヨーガと、ヴァジュラサットヴァの瞑想と念誦と、マンダラをささげること等がある。

 諸々のグルの伝統では、それらは大きく二つのプロセスに分けることができる。
 ①罪と障害を浄めるためにヴァジュラサットヴァの瞑想と念誦をすることと、
 ②祝福を受けるためにグルヨーガを修習して、供養することである。

①罪と障害を浄めるためにヴァジュラサットヴァの瞑想と念誦をすること

初めに、三宝に心を任せる帰依の心を、確実に自己の心の連続体に植えつけるべきである。

 そして、次のように考える。

 自分自身が輪廻の海に落ちたように、諸々の衆生も同様にこの苦界に落ちている。そして彼らすべての衆生はかつての自分の母であり、多くの恩を受け、害悪を取り除いてもらった恩人であることを思い、すべての衆生に恩を返そうという心を固く持つ。
 次に、それらの母なる衆生が、幸福でないことと、苦しみにさいなまれている諸々の有様を観想して、それら母なる衆生をどうにかして私が、あらゆる楽に向かわせ、あらゆる苦しみから解放しようという思いを強く持つ。
 次に、その二つの事柄を完全に達成できるのはただ仏陀のみであると見て、彼らのために自らが仏陀となりたいという思いを強く持つ。
そして、衆生を救う仏陀となるためにこのナーローの六ヨーガの道を修習しようという固い誓いを間断なくなすべきである。

「金剛心荘厳」の中に、

「すべての仏陀の唯一の御身が、白蓮華と月の中心に住して
ヴァジュラとヴァジュラベルによって荘厳されたヴァジュラサットヴァを良く対象にして
百字真言を儀軌の通りに二十遍念誦する事は
祝福によって、堕罪等が増えることにならないと
最高の行者によって述べられているから、余暇に行なうべきである。
十万遍念誦するならば、正しい自分となる。
このように、余暇にヴァジュラサットヴァの瞑想によって、百字真言を絶え間なく念誦したならば、堕罪は増えないし、十万遍念誦したならば諸々の罪が清浄になると、最高の成就を得た人々はおおせになっていらっしゃるから、そのようにすべきである。」

と説かれているから、ヴァジュラサットヴァの瞑想と念誦をすべきである。その次第は次の通りである。

 自らの頭上にあるパム字から白蓮華、アー字から月輪が生じ、その上にフーム字が生じて、それが白い五鈷杵となり、その五鈷杵の臍をフーム字によって装飾する。
 その五鈷杵から光明が放たれ、収斂して完全になり、自分自身に溶け込む。

 次に、白蓮華と月輪の上に、ヴァジュラサットヴァを観想する。
 白い身体のヴァジュラサットヴァは、右手にヴァジュラ、左手にヴァジュラベルを持っている。白いユムであり、曲刀とカパーラを持っているヴァジュラニェムマを抱いて、さまざまな宝の飾りによって飾られている。三十二相と八十種好を備え、ヴァジュラーサナによって座っている。
 そのヴァジュラサットヴァの心臓の月輪の上に、白いフーム字を観想する。
 そこから光明が放たれて、自分と等しいジュニャーナサットヴァをお招きして、色・声・香・味・触の五供養によって供養する。ジャハ・フーム・バム・ホーによってお招きして、とどめ、喜ばせるべきである。
 また、心臓のフーム字から光明が放たれて、アビシェーカの諸々のイダムをお招きして供養して、
「すべての如来方によってアビシェーカが受けられますように」
とお願いする。それによって如来方は、アビシェーカを授けようとお考えになられる。
 諸々のユム方が、宝の瓶を智慧の甘露で満たしたものを持って、「チタル・タムパ」等と、「オーム・サルヴァタターガタ・アヴィシェーカタ・シュリーイェー・フーム」と唱えて、アビシェーカを授ける。身体が智慧の甘露で満たされて、アクショーブヤが頭頂を飾ったと観想する。
 
 それからヴァジュラサットヴァの身口意に対して大いに恭敬の心をもって、
「世尊ヴァジュラサットヴァよ。自他と一切の罪と障害とサマヤからの堕落と破戒の一切を清浄になされますよう、お願いします」
とお願いする。
 するとヴァジュラサットヴァの心臓のフーム字から光明が放たれて、すべての衆生を照射し、彼らの罪と破戒の一切を清浄にする。
 またその光明は、十方の菩薩を伴った仏陀すべてに供養をささげ、それらの身口意と功徳と御作業のすべてを、光明の様相として収斂し、心臓のフーム字に再びとけ込むことで、ヴァジュラサットヴァの偉大さと力が完全なものになったと観想する。
 
 そしてフーム字の周りに百字真言を観想し、百字真言を唱えることによって、その文字を回転させる。
 文字から光明が放たれ、衆生の罪と障害を浄めて、菩薩を伴った仏陀に対して不可思議なる供養をささげて、身口意のすべての祝福が収斂して文字にとけ込む。
 その文字から白い甘露が流れ出し、その甘露がヤブ・ユムの結合した秘密処から流れだし、自分のブラフマ・ランドラに入る。
 身口意のすべての罪と障害が、感覚要素の門と毛穴から、黒い液体となって流れ出し、罪と障害を浄める。
 全身は智慧の甘露の流れによって白く満たされて、悟りと功徳が自他すべてに生じることを観想し念誦する。

 ヴァジュラサットヴァの瞑想の終わり方は、四つの力の懺悔をして、
「私は無知蒙昧のために、サマヤから矛盾して堕落してしまいました。
 グルである救世主よ、私をお守りください。
 ヴァジュラダラであって、大いなる哀れみの本質を備えた衆生の主よ、私をお守りください。」
とお願いする。それによってヴァジュラサットヴァは、
「善男子よ、汝の罪と障害とサマヤからの堕落と破戒のすべては清浄になった。」
とおおせられて、自分自身にとけ込んでくる。
 こうして自分の身口意とヴァジュラサットヴァの身口意は合一したと観想する。

 最後に回向と誓願をして終わる。

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