◎至高の平安の境地
◎至高の平安の境地
【本文】
『篤い信仰心を持つ人は、感覚の欲望を制御することで、この無上の叡智を得、
速やかに至高の平安の境地に至る。
だが無智にして信仰もない者や、その完全なる叡智の存在を疑う者は、
この世も来世も平安を得られず、常に不幸となることであろう。』
はい。これも読んで字の如くですね。篤い信仰心を持ち、それによって自分の欲望を制御し、そしてここまで書かれていたようにしっかり励む者は、速やかに至高の平安――至高の平安っていうのは、もう完全なる平安の解脱の境地ですね――に至るでしょうと。無智であり、信仰もなく、「そんな叡智とか智慧とか悟りとかあるんですか?」と。そういう者は、この世においても平安になれないし、もちろん解脱もできないし、常に不幸ですよと。
◎完全なる叡智の剣で
【本文】
『果報を求めずに行為する人、完全なる叡智によって疑念を捨てた人、
自己の本性に徹して自由自在となった人、この人たちは、カルマに決して縛られることはない。おお、富の征服者よ!
己の心の迷いと疑いを、完全なる叡智の剣で断ち切り、
精神をヨーガに集中し、さあ、立ち上がって戦いなさい! バーラタ王の子孫よ!』
はい。かっこいいですね(笑)。この最後のまとめ――つまり結局は、この唯一なる完全なる絶対なる、われわれの本性のところにある叡智を発見せよと。で、その一つの手段が供養だと。バクティだと。つまり全てを神の供物とみて、一切にとらわれず行為をせよと。そしてさまざまな方法で修行を行なうことによって、この完全なる叡智をつかめと。これをひとたびつかんだならば、すべては――カルマの悪しき流れとか、あるいは自分の中のさまざまな迷妄とか、それがすべて断ち切られるんだよ――というところですね。
はい、これはもう、さっきも言ったけども、素晴らしい部分ですので、日々読んで自分の行動の指針にしたらいいね。
◎言葉にできないもの
はい、最後に何か質問等ある人いますか? 特にないかな? 今回も反応がよく分からないけど(笑)。ああ、すごいな、と思ってるのか、何かよく分かんないなと思っているのか(笑)。
(H)感動しました……
本当? 本当かな(笑)。S君何か質問はないですか?
(S)完璧です。
完璧(笑)? ええ? 本当かな(笑)。
(S)僕が完璧じゃなくて……
ああ、この教えがね(笑)。うん。確かに、質問がないっていうのは、正しいのかもしれない。こういうものっていうのは、ああだこうだ、これはどうなんだろう、こうなんだろうっていうんじゃなくて、純粋にちょっと受け入れて、あとは実践してみる教えだね。こういうものっていうのはね。
でもバガヴァッド・ギーターとかって、そう思うね。バガヴァッド・ギーターっていろんな解釈書が出てるけど――私はあまりそういうのを読んだことがないんで、どれがいいとか悪いとかは言えないけども――こういうタイプの聖典っていうのは、あまり学術的に解釈したのは読まない方がいい。これはこういう言葉の意味があってこうこうっていうのは、あまり読み過ぎると、真意を失います。本当にクリシュナが言おうとしてきた――今日の説法も同じだけど――本当に言おうとした、言葉にできない「これ」があって(笑)、「これ」を一応伝えようとしてるんですよ。ここで私が言った言葉の一つ一つをとらえてね、この言葉はこうですからこうですから……ってやりだすと、どんどん違う方にずれるっていうか(笑)。だからちょっと曖昧な言い方だけど、これを「心で読め」と(笑)。心で読んで、感じたものをしっかり実践しろと。ちょっと曖昧だけどね。うん。でも一応今日は、その曖昧な部分をできるだけ、こう形にしようとは思ったけど。それはまたみなさんが、日々読んで実践して、体得していったらいいと思うね。
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