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◎叡智の供養

◎叡智の供養

【本文】
『このようにブラフマンに達するためのさまざまな供養は、聖典の中にハッキリ定められている。
それはさまざまな行為によって行なうことができるし、この理に精通すれば、君は完全に解脱することができる。

敵を撃滅するものよ! 物品の供養より、叡智の供養のほうがはるかに優れている。
なぜなら、プリター妃の息子よ! すべての活動は、究極的には完全なる叡智に通じているのだから。』

 はい。叡智の供養って、いろんな意味がありますが、例えばわれわれが神への供養の行為として、教えを学び智慧を深めていくと。これも一つの叡智の供養だね。で、もうちょっとストレートな意味での叡智の供養っていうのは、まさに仏教でいうところの「法施」だね。つまり、例えばまだ真理に目覚めていない人を、あるいは目覚めているけども自分の後輩たちを、神の化身と見る。神の化身とし、自分が今知っている真理を供養する。だからこれも、傲慢な意識があると、「おれは真理をしっていると。君は知らないのかと。じゃあ、教えてやるか」っていう感じになるんだけど(笑)、そうじゃなくて、「私はこの真理という供物を、神の化身である――あなた今、煩悩的な普通の人のふりをしているけど、神でしょと(笑)。君も神の現われだと。よって、この真理という教えを供物として捧げます」と。これが法施だね。この方が優れていると。
 これは仏教も同じことを言っているね。仏教においてはもうちょっと詳しく、物質の布施と、それから精神的な安らぎの布施と、それから真理の布施の三つがありますよと。それは下から上に行くにしたがってグレードアップしますよと。つまり物質の布施より安らぎの布施の方が優れてると。安らぎの布施より真理の布施の方が優れてると言ってますね。

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