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◎六つのパーラミターの学習

◎六つのパーラミターの学習

【本文】
 次に、菩薩行という荷を負うことが可能ならば、菩薩戒を受持してから、六つのパーラミターを学習することが一般的である。特に、瞑想の本質である「寂止によって心を静寂にすること」と、智慧のパーラミターの本質である「諸々の法は幻と空のごとしと悟る正観」について学習すべきである。

 ここはちょっと強烈な書き方だね。「菩薩行という荷を負うことが可能ならば」――まあ可能ならばといっても、結局はこの道に入ることになるわけだけど。つまり、慈愛と哀れみ、菩提心――これをたくさん学んでると、「そうか。わたしも菩薩の道を歩きたい」と、こういう思いが生じてくる。

 しかし――その菩提心から菩提行に移行するわけだけど、つまりこれは『入菩提行論』の言い方をすると、「発願の菩提心」とそれから「前進の菩提心」ってやつだね。これはわたし、『入菩提行論』の解説に書いたけど、例を挙げるとね、野球選手になりたいっていう子供の例ね。わたしも小さいころ野球選手になりたいって思ってたけど、日本中に野球選手になりたいっていう子どもはいっぱいいる。でも、その決心をして具体的な道に入っている人はわずかだね。だって思うことはみんなできる。テレビとか見て、「ああ、おれも将来野球選手になりたいなあ」――でも毎日ただ遊んだりしてるだけ(笑)。じゃなくて、決心して、「よし! 絶対なる」と。そのための、例えばトレーニングを始める。あるいは、例えばその名門校に入るための努力をするとかね。これをし始めるかどうか。ここが分岐点なんです。これがつまり菩提心が菩提行に移行できるか。それがここに書いてある「菩提行という荷を負うことが可能ならば」っていうところだね。

 つまり、そこで問いかけをされるわけです。「さあ、あなたは菩提心の素晴らしさに気づきましたね。菩薩の道の素晴らしさに気づきましたね。しかし菩薩の道というのは大変な道ですよ。険しいですよ。あなたは歩けますか? 衆生の幸福をその肩に一身に背負わなきゃいけませんよ。どうですか?」――ここで、自ら結論を出さなきゃいけない。

 でも絶対、「歩きます」にならざるを得ないんだけどね(笑)。教えを学んでたら、「歩きます」と言わざるを得ないというか(笑)。これはだから意地悪な質問みたいな感じなんだけど(笑)。

 だから大乗と縁のある人は、必ずもうそういう道に行かざるを得ないんです。いろいろ泣き言とか言ってても、「やっぱり、でももうここに足を踏み入れちゃったら、それしかないんだよな」ってなってしまう。

 だからこれは通過儀礼みたいなもんだね。だからどこかでその人は決心をしなきゃいけない。いろいろ辛いこともあるけども、わたしはずっとこの道を歩いていくんだと。多くの衆生の苦悩を背負いつつ、多くの衆生を幸福にするために、自分のいろんなものを犠牲にしながら、ずーっと菩薩の道を歩いていくんだ――というような決心が必要なんだね。

 はい、そして、本格的な大乗の道として、菩薩戒――まあ菩薩の戒律とか菩薩の教えがいっぱいあるわけですが。そして六つのパーラミターね。さっき言った、布施、戒、忍辱、精進、禅定、智慧ね。これをしっかりと学びなさいと。
 
 この辺は『入菩提行論』ね、あるいは『菩薩の生き方』、この辺をしっかりと学べばいいと思います。

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