◎いじめられることについて
◎いじめられることについて
(S)もう一つですけど、修行している人にとって、嫌な相手っていうのは、自分の修行の段階を試すっていうことにもなると思うんですけども、小さい子――小学生とかですごくいじめられる子がいますよね。ああいう子っていうのは別に、意識的には修行してるっていう感覚は本人にはないですよね。だけどそういうものがくるっていうのは、カルマっていうのもあると思うんですけども、そういうその、それを抜けるためにそういうふうに設定されたものであるっていうふうに考えていいのでしょうか……
抜けるためにって、何を?
(S)抜けるっていうか、その苦しみっていうものを――さっき何ておっしゃっていましたっけ――苦しみがないと成長しないということでしたよね。だからそれを、その苦しみを小さいときから与えられて、小さいときから成長の段階に入っていくっていう、そういうカルマとして……
それは二つあるね。この話をすると、また壮大になっちゃうんだけど、これもいつも言っているように、ぶっちゃけていえば、すべての魂が神に愛されてる。すべての魂が、神に成長させてもらってる。この成長ってどういうことかっていうと、これもいつも言うように、まず過ちの中に落っことされるんです。まず失敗ばかりさせられるんです。徹底的に失敗させられて、で、ひたすら失敗した――つまり悪業積んだりとか、悪い思いを持ったり、ひたすら失敗した後に、気付かされるんです。気付かされてからは、今度は修行が始まって、その過去に蓄積してしまった悪を落としていく作業に入る。このぐーっと落とされて、引き上げられるプロセスがある。でもこの全プロセスが、神の意思なんです。
でも、全プロセスが神の意思なんだけど、ピンポイントで見ると、この前半にいる人っていうのは、悪いカルマを積んでいる段階。後半にいる人は、心の成長に入ってる段階。だから、その小さい子供がどっちか分からない、ピンポイントで見るとね。単純に悪いカルマによっていじめられてる場合もある。その場合は、はっきり言ってしまうと、心は成長しません。いじめられて、より心がねじくれて、また悪いことするかもしれない。でもそれも、大きな目で見ると、いつか気付くための悪化なんです。でも今生気付くかどうか分かんないよ。
そうじゃなくて、過去世から修行者でね、そういう試練を受けるために、今成長のために試練を受けてるっていう場合もある。
例えばわたしもいろんな子供を見てきたけど、ある子供はね、いじめられてるんだけど、全くこたえない子がいるんだね。すごくおおらかっていうかやさしいっていうか、端から見てるとひどいことをやられるんだけど、本人は、「なんだ~、やめろよ~」とか言って(笑)、わーって抱きついたりとか(笑)。卑屈じゃなくて、本当に心からそういう感じなんだね。完全にこいつは菩薩だなと(笑)。そういう子もいる。
あるいはわたしもね、わたし中学生のころにちょっと引っ越していじめられたことがあって、で、そのときに同じようにいじめられてる子がいて、観察してると、やっぱりいろんな子がいる。ただわたしの学校の場合はね、わたしが見たいじめられてた何人かの子っていうのは、すごくやっぱり立派だったね。誰も恨もうとしないで、逆に他のいじめられっ子を助けたりとか、そういう子とかがいた。そういう人っていうのは、確かに浄化のためにそういうのをセッティングされてるのかもしれない。
でも一概にはなかなか見えないところがあるね。だから、そういう子っていうのは、変な言い方をすると、そういう子っていうのは放っておいてもいい。でもそうじゃなくて、カルマによっていじめられてる子っていうのは、これは放っておいたらねじくれるだけだから、それはいろいろ物理的になんとか対処してあげなきゃいけないかもしれない。それはすごく難しい判断だけどね。
わたしはわたしの人生を振り返ると、わたしはいじめられた時期があったわけだけど、わたしの人生のかなりの宝物です、その時期っていうのは。あの時期があってよかったと思う。あの時期があって得たものっていうのは、とても多い。
だからもしタイムマシーンでね、戻って、あの時期の私を助けてあげようっていう人がいたら、わたしはストップします(笑)。「ちょっと余計なことしないでくれる?」って(笑)。あのときいじめられてなかったら、得なかったものがいっぱいあるから、ちょっと黙ってていいよと。そういう人もいるんだね。でも、そうじゃない人もいるんです。いじめられない方がいい人もいるっていうか。だからそれはちょっと難しい問題になってくるね。
いじめ以外でもなんでもそうなんだけどね。ただ自分の問題としては、ちょっと大雑把にいうと、ここにいる人はみんな修行者だろうから、自分の問題としてはそういうふうに考えたらいい。つまり、すべては自分の成長のためにあるんだ、と考えたらいい。
はい、じゃあ今日はこの辺で終わりにしましょう。おつかれさまでした。
(一同)ありがとうございました。