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解説「王のための四十のドーハー」第二回(2)

 はい。で、この間は詩の四行目辺りまでいったと思うんですが、これはいろんな解釈はあるんですが、全体的な流れで言うと、この一番目の詩から一、ニ、三、四、五、六――この六番目の「勝利者(ブッダ)は、完璧さに満ちている」までが、まあ最初の一つのパートであるといわれています。で、それは――仏教においてよく土台、道、結果っていう言葉が使われるんだね。土台、道、結果。で、この最初の三つの詩が、土台です。
 もう一回繰り返して読むと、

風が吹くと
静かな水面が波やうねりに変わるように
王はさまざまな思いを集める
サラハとして見えるものの上に

指で目を押すと、愚か者は
一つの灯りを二つだと見るように
見るものと見られるものは分けられないのに
二つのものとして現われる

たとえ家の中に多くのランプが灯っていても
目の見えない者にとっては、そこは暗闇のまま
生来の智慧はもともとすべてに行きわたり、すぐ近くにあるが
無智のために、常に遠い

 これはこの間解説したので詳しい解説は避けますが、今われわれが陥ってる状態、これがこの最初の三つの詩で表わされています。で、こういった詩っていうのは、この間も言ったけど、なんていうかな、悟りの世界を直接的に表わしたものなので、われわれが例えば修行を進めるたびに理解度は変わってくると思います。例えば五年後に、皆さんが修行――まあ修行してればですよ。修行してなかったら今と同じだけど――五年後に修行してて、修行進めて、これをまた読んだときに得るものは変わってくるでしょう。
 こういうものってよくね、指摘の教えとかいわれるんだね。サインの教えっていうかな。つまり、半分は論理的なんだけど半分論理的じゃないんです。半分は論理的な合理的な教えなんだけど、半分は、つまり鍵みたいな教えだね。ヒントみたいなものなんだね。つまり皆さんの心をパッと悟りに目覚めさせるための、鍵となる教えなんだね。だから、半分はこれ、論理的に考える――「ああ、なるほど、こういう意味なのかな」と。しかし半分は皆さんの純粋な心でじかに理解しなきゃいけない教え。まあ理解するっていうよりも、悟りのきっかけとなるような教えですね。

 はい、で、この最初の三つが、われわれの陥っている無智な状態を指しています。で、四つ目。

あまたの異なる河があるが、それらはすべて一つになって大海に至る
あまたの偽りがあるが、ただ一つの真理がそれらすべてに打ち勝つ
あまたの暗闇があるが、ただ一つの太陽が昇るとき、それらはすべて消え去る

 これは、修行の道を指しています。つまり、いかにわれわれの心の本性を呼び覚まし、それを輝かせるかっていうことですね。
 この間の六ヨーガの教えの勉強会でも言ったけど、カギュー派においてはこの六ヨーガとマハームドラーが、まあ、二大柱となるんだね。六ヨーガっていうのはどちらかというとエネルギー的、つまり物理的な解脱のプロセス。マハームドラーっていうのは、心の本性を悟る、精神的なプロセスですね。だからまあ、奇遇というか、ちょうどね、その六ヨーガとマハームドラーを連続して学ぶことになったわけですが。
 で、マハームドラーっていうのは、この間もちょっと言ったけど、ニンマ派でいうゾクチェンとかと同じで、心の本性をいかにつかむかっていう教えなんだね。で、いつも言ってるけども、これはこれとしてとても重要なんです。ただわれわれには同時に、心の本性ではなくて、今われわれが持ってる、本性ではない、今われわれが使ってる心ってあるよね。今われわれが使ってる心はもちろん心の本性じゃないんです。で、マハームドラーの教えっていうのは、われわれが今心と思ってるこれは、本当のわれわれじゃないよ、心の本性をつかみなさいと。
 まあ、いつも言うように仏教とヒンドゥー教のヨーガっていつもけんかしてて、特に仏教の方が「ヒンドゥー教っていうのは間違いだ」ってやるんだけど、わたしは、「いや、ヨーガと仏教って実は同じだよ」っていうことを繰り返し言ってる。だから言葉が違うだけで、仏教のマハームドラーとかで「心の本性」って言ってるのは、ヨーガの真我、またはブラフマン、これと定義上は同じなんだね。ほとんど同じなんだけど、いろいろ理屈を付けて、「いや、そっちは間違ってる」ってやってるだけなんだね。で、それは歴史的ないろんな宗派のしがらみとかいろいろあったからしょうがないんだけど、われわれはまあ、そういうものからは自由なので、柔軟に考えると、これはヨーガ的に言うと真我といってもいい、あるいはブラフマンといってもいい。それをいかにつかむか。これがマハームドラー。しかしわれわれがなすべきことは、それだけではない。この心の本性ではない、普段使ってる心を、いかに変えていくかにも目を向けなきゃいけないんだね。なぜかというと、それが菩薩の道だからです。
 つまりわれわれは、ただ心の本性に突っ込めばいいわけではない。もちろん心の本性っていうのは常に、なんていうかな、知っておかなければいけないんだけど、われわれはこの輪廻から離れることを目指してるんじゃない。この輪廻の中で多くの人にいい影響を与えながら、何度も生まれ変わることを目指してるから、この輪廻で使うさまざまな心の状態を、常に慈愛に満ちた、エゴのない慈悲に満ちたものにしておかなきゃいけない。
 だって例えば、今生、心の本性をつかみましたと。本人は多分幸せです。「ああ、幸せだ」と。でも例えば死んだと。生まれ変わりました。生まれ変わったときには、いったんその悟りは封印されるから、普通の人として生まれ変わります。で、このわれわれが今持ってるこの普段の心っていうものをきれいにすることをやってなかったら、来世もまたけがれた状態で生まれます。で、あまり人にいい影響を与えられないかもしれない。
 ただ、この話には実際矛盾があるんだけど、いつも言うように、われわれが例えばほんとに心の本性をつかむためには、この普段持ってるこの心をきれいにしないとつかめません。つまりこれは、いつも言うように、心っていうのは湖みたいなもので、この湖が透明になって、静かになって、で、もうほんとに中まで見通せるような状態になって初めて心の本性っていうのはつかめるんだね。だから自分の普段の心をきれいにしないと心の本性はつかめないっていうのはそれは当たり前なんだけど、ただまあ、きれいにするだけではなくて、いかに慈悲に満ちたものにするか、あるいはいかに、そうだな、例えばわれわれはさまざまな教えを学ぶわけだけど、その教えを心に根付かせるか、こういうことにもわれわれは心を注がなきゃいけない。
 もちろんね、最終的にはですよ、最終的に、ほんとに最後の最後、つまりわれわれが至高者と合一するようなところまでいったら、もうそんなことも考えなくていいです。なぜかというと、われわれのほんとのほんとの本質、最終的な段階には、絶対的な慈悲の心がある。あるいは絶対的な愛があるんだね。絶対的な智慧と同時に絶対的な愛があるから、もう何も考えないでも神の意思どおりに自然に生きられるような人になる。でもそれはほんとの最終段階だね。その途中段階で、じゃあわれわれはけがれを周りに振りまいてていいのかっていうと、それはもちろんいいわけがない。だから、何度も繰り返すけど、心の本性をいかにつかむかっていうことと同時に、いかにこの普段の心を、浄化し、慈悲に満ちた、あるいは真理に満ちた、教えに満ちたものに変えていくかっていうのはとても大事なんだね。
 ただまあ、なんで今こういうことを言ったかっていうと、このマハームドラーの教えそのものは、この心の本性をいかにつかむかっていう教えなんです。だからこれはこれでもちろん重要なんだけど、これだけじゃ駄目だっていうことだね。だから、もう一回ちょっと立体的に言うと、この間学んだ六ヨーガの教え、これはまあ、ここでやってるようなクンダリニーヨーガ的な教えです。これはわれわれを物理的に覚醒させてくれる。これは一つ必要だね。そして、今日学ぶようなマハームドラー的な教え、これはわれわれの心の本性をズバッと直接的に開示するっていうかな。これはこれで必要です。で、もう一つ、例えば『入菩提行論』とか、あるいは『バガヴァッド・ギーター』とかに代表されるような――例えばわれわれが日々『入菩提行論』を読んだり『バガヴァッド・ギーター』を読んだりして、普段の日常の中で自分の心を変えていく、念正智していく、この教え。これはこれで必要です。で、もちろん三つそろえなきゃいけないんだけど、仮にですよ――どれか一つしか取れないとしたらどうするんですか?――それは最後に言った、今のこの心をどう変えていくか、これはまずは一番重要だね。いかに心の本質をつかむかっていうのはもちろん需要だし、あるいはエネルギー的なプロセスも重要だけど、今のこの心をいかに慈愛や教えでちゃんとつくり変えていくか。これはやっぱり重要ですね。
 ただ、皆さんはそういったさまざまな教えの面を学べる素晴らしいカルマにあるので、もうこの残りの人生を全力で使って、今言った三つの側面ね、まあ、もちろん細かく分ければもっといっぱいあるだろうけど、大まかに言って三つの側面――エネルギー的な自己の浄化と解脱、そしていかに心の本性をつかむか、そしていかに心を慈愛や教えでつくり変えていくか。この三つの面を、ぜひ全力でね、磨いていったらいいですね。
 はい。そして、ちょっと話を戻しますが、最初の六つが、さっき言った、土台、道、結果の教えだって言いましたね。で、もう一回言うけども、最初の三つが土台の教え、今われわれはこんな状態なんですよと。四つ目のこの「あまたの異なる河があるが」っていうやつが、いかに心の本性に到達するかっていう教えね。そしてそのあとの二つからが今日のテーマですが、この二つの詩が、マハームドラーの達成の状態を表わしています。

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