偽りの感情を解け

 私はもともと海老が好きだったんだけど、あるとき、海老を食べながら、自己観察をしてたんだ。「私はなぜ海老が好きなのか。海老の何が好きなのか」ってね。 
 そうしたら、気づいたんだよ。 
「このプリッとした噛むときの感触が好きなんだ」 
ってね(笑)。 
 でも、よく考えたらね、 
「このプリッて、なんだ?」 
ってね(笑)。 
なんでそれが「うまい」と感じるのかということだね。私がなんとなくうまいと感じていた海老の感触の正体は、ただの「プリッ」であった。私はそれに、いろいろなイメージとかね、記憶とか、いろいろなものを乗せてね、なんとなく「うまい」と思ってたんだね。
これはわかりやすく味覚についてあげたけど、実はすべての感覚や感情も同じなんだ。
 たとえば何か悲しみに心が満たされているとき、じっくりと観察分析してみたらいいよ。私はなぜ、悲しいのかとね。それは正当な理由があって私は悲しんでいるのだろうかと。 
 仏教やヨーガの教えを学んでいると、そしてそれに基づいてじっくりと思索ができるようになっていると、それらがなんら正当性がないことがわかってきて、問題が解けてくるんだ。その段階で、なーんだ、という感じで、悲しみが消えるかもしれない。これはギャーナ・ヨーガ的な方法だね。 
  
 ところで、しかし、思索で解けても、悲しみ自体は消えない場合もある。わたしの経験だとね。スイッチが入ってしまったその「悲しみ」のエネルギー自体は消えない場合があるんだ。 
 でも、よーく心を落ち着けて観察すると、実は、「悲しみは苦しみではない」ということがわかるんだ。 
 なんか変な話になってきたね(笑)。でも本当なんだよ。 
 悲しみは悲しみであって、苦しみではない。ただの悲しみというエネルギーなんだ。 
さあ、次に、さらに進むよ(笑)。さらに進むと、その悲しみのエネルギーの本質も、実は歓喜であるということに気づく。
これはあらゆることについていえるんだけど、あらゆる感情、あらゆるエネルギーの本質は歓喜であると、私は体験上、感じています。
普通はその上に、いろいろな余計な記憶や情報から来る「偽りの感情」をのっけるんだな。それで、「ああ、苦しい」とか「ああ、楽しい」とかやってる。でもその苦しみも喜びも、どちらも偽りだ。それらのもっと真髄に、純粋な歓喜があるんだ。
 だから究極的には、この世のエネルギー、存在のすべての本質は「歓喜」だということになる。 
 もともとすべてに偏在する神の現われであるこの世界は、純粋な歓喜に満ちているんだね。 
 しかしそれを、単に思い込みで、「歓喜だ!」とは、やらないほうがいいかもしれない。 
 お釈迦様は最初は「この世は苦だと見なさい」と言っている。それは、強すぎるこの世へのとらわれへの対抗策だね。 
 そう、最初は経験から来る誤った苦楽の思い、執着と嫌悪を、とりのぞかなきゃいけないんだね。 
 そうすると自然にまずこの世がそういった二元性の価値を本質的には持たないことにだんだん気づいてくる。そしてその後には、偽りのない歓喜を自然に感じることができるようになってくるでしょう。 
だから具体的にはまずは、苦楽へのとらわれや、強すぎる執着や嫌悪の感情を、取り除くことから始めるといいでしょうね。
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