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クンサン・ラマの教え 第一部 第四章「カルマ:原因と結果の法則」(6)

 すべての善き行ないと悪しき行ないにおいて、行ないの善悪や重さを決める最も重要な要因は、動機である。動機が完全に清らかでなく、怒りや執着から生じたものであるならば、その行ないはどれほど見た目が善いものであっても、悪しきものになる。逆に、動機が清らかであれば、悪しきものに見えても実際は善きものであるという場合もある。
 よって、勝者(仏陀)の息子である菩薩たちが、身体や言葉における七つの悪しき行ないをしても、その心が清らかで、自己中心的な欲望がなければ、許される場合がある。例えば、海賊を殺した「慈悲深い心」と呼ばれた船長の例がある。
 お釈迦様はある過去世において、「慈悲深い心」と呼ばれる船長であった。五百人の商人を乗せて航海に出ているとき、そこに紛れ込んでいた一人の海賊が、皆殺しにするぞと脅してきた。船長は、商人たちが実は全員菩薩であり、もし海賊がこの菩薩である商人たちを皆殺しにすれば、彼は数えきれないほどのカルパの間、地獄で苦しまなければならないだろうということを悟った。船長は強い慈悲の心に突き動かされて、「もしわたしが海賊を殺せば、海賊は地獄に行くことはない。それならば迷う必要はない。わたしが地獄に行こう」と考えた。そして大いなる勇気を持って海賊を殺したが、そうすることによって船長は、地獄に落ちることはなく、普通なら七万カルパかかって得ることができる功徳を得ることができた。
 表面的には、船長が犯したことは殺生であり、悪しきことである。しかし、そこには全く自己中心的な動機がなく、結果的に五百人の菩薩の命を救い、海賊を地獄の苦しみから救った。よって、それはきわめて強力な善き行ないであったということになる。

 心は、善悪を決める第一のものである。心に浮かんだ考えが言葉や行ないにまでならなくとも、善き結果や悪しき結果をもたらすことは多くある。よって、常に自分の心を調べなさい。考えが善きものであれば喜ばしいことであり、より多くの善きことを行なうだろう。しかし考えが悪しきものであれば、すぐに懺悔しなさい。たくさんの教えを受けていながらそのような考えをいまだに持っていることを、懺悔し、恥じなさい。そして、今この瞬間から、そのような考えが心に浮かばないように、最大限努力しなければならない。
 たとえ善いことをしたときでも、注意深くその動機を調べなければならない。もし動機が善きものであれば、その行ないも善きものである。しかしその動機が人々に見せつけたいという思いからであったり、競争心に基づいていたり、名声を得たいためだったりした場合は、その動機を【菩提心】に基づくものへと変えなければならない。

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