yoga school kailas

「異なった立場の法を批判してはならない」

◎異なった立場の法を批判してはならない

 はい。この六以降はちょっと説明がないので、簡単にだけ説明しますね。まず六番は、これはつまり異なった立場のものっていうのは、全くね、本当に邪悪な教えだったら別だけども、そうじゃなくていろんな派があるよね。例えばチベット仏教があって、そのいろんな派がある。あるいはヨーガもいろんな派がある。で、立場の違いっていうのが若干ある。例えばこれについてわれわれはこう考えるけど、この派はそうじゃなくてこう考えている。それは、いつも言うように、山に登るときのいろんな道のようなものだから、それはそれとしてわれわれはそこにはあまり関わりはしないが、しかし批判はしてはいけない。ね。

 例えばさ、われわれの縁のある人で、チベット仏教とかで修行してる人もたくさんいるわけだけど、例えば誰々さんは今チベットのある派のこのラマのもとで修行してるみたいだと。「え? あの派?」とかね。「そんな派、あの派の修行してもそんなでもないのに」とかさ、そういうふうに思ってはいけない。われわれが実際にその派と関わったり、その派の教えを受けるんだったら真剣に考えなきゃいけないけど、関係がない。関係がなくて、そっちはそっちなりにたぶん真理を実践してる。われわれはあまり深く知らないから、言う必要もないし、言う資格もないんだね。だからそれは、そんなこと言っても時間の無駄だし、それは決してそこで批判心を起こしてはいけない。いろんな道があるわけだから。――っていうのが一つだね。

◎五蘊をけなし、粗末に扱ってはならない

 はい。「資格の無い者に密教を漏らしてはならない」。まあこれは分かるね。

 「五蘊をけなし、粗末に扱ってはならない」。つまり極端な苦行――つまり基本的な修行の考えではもちろん五蘊、われわれの色、受、想、行、識。肉体を中心としたこのボディっていうのは、あるいは感覚とか心とかっていうのは、実体がないよ、本質ではないよっていうんだけど、ただ密教においては、本質ではないが、一応利用するわけだよね。例えばヨーガとかはまさにそうだけど、この肉体のエネルギーを使って修行すると。だから本質ではないといって粗末に扱うっていうことは、道理ではない。本質ではないんだが、利用できるんだからちゃんとそれは磨いて、解脱のための道具にしようと。だから決して粗末に扱ってはならない。

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