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◎称賛の大きなメリット

◎称賛の大きなメリット

 ちょっと話は戻すけど、だから人を称賛するときもそこは気をつけなきゃいけない。例えば「Yさんの布施の心素晴らしいね」と。これはいいんです。でもそれによってYさん全部素晴らしいってやっちゃうと、Yさんの真似しなくていいところまでこっちに入ってきてしまうから、そこら辺は正確な判断が必要だね。
 でも悪い部分に関しては別に非難する必要はない。阿修羅っていうのはそういう性質があるんだね。阿修羅っていうのは人間よりも上なんです、いつも言うけど。なぜかというと、人間はすべてを曖昧に判断するんだけど、人間っていうのは、さっき言った恋愛と愛情とか友情とか、‘情’優位なんだね。情があるから、
「まあ、あの人もこういうところもあるかもしれないけど、でもいいやつだよ」
とか曖昧な感じで相手を捉えるんだけど(笑)、阿修羅はビシッバシッと、
「ここは確かにこの人こういうところいいけども、こういうところは駄目ですね」
と。まずは正確に捉えるんです。
 で、正確に捉えるだけならいいんだけど、阿修羅は正確に捉えて、良い部分はおいといて悪い部分を攻撃するんです(笑)。これは阿修羅(笑)。
 だからそうじゃなくて正確に見て、逆に悪い部分はおいておいて良い部分を称賛するんです。これがわれわれの修行だね。
 これをやってたら、もちろん人間関係も良くなるだろうけど、本人にとって相当メリットがあります――というのは、良い部分ばっか称賛していたら自分の心はその良い部分にどんどん向かうんです。だから例えば周りに十人友達がいたら、十人全員の良い部分を毎日称賛してたら、その十人の持っている徳っていうものを自分がバーって受けることができるんだね。心がそっちに向かうから。
 逆に悪い部分ばかり称賛してたら、どんどん自分もそういった悪い部分が身に付いてしまう。もちろん反面教師にするっていうのはいいよ。でも相手を攻撃する必要はない。
 だからさっきも言ったように、人間っていうのは何面性もあるから、例えば、「Yさんの部分のこういう部分は、私にとっての未来の私だから目標にしよう」と。「でもこういう部分は過去の私だから、もし自分にできることがあるんだったら手助けしてあげよう」と。こういう感じだよね。
 決して相手を否定する必要もないし、あるいは全部ひっくるめて肯定する必要もない。これは大乗仏教的な一つの周りの見方だね。こういう見方もある。

◎究極の真理

 あるいはそうじゃなくて、もうちょっと体験的なっていうか神秘的な見方もあるよね。これは私も――前も言ったけど、瞑想中にね、こう自分が何か宇宙になって、自分の細胞一つ一つが生き物になったっていう瞑想経験をしたことがあるんだね。「おお、何だこれは!?」と。この宇宙の全ての生き物によって私が作られているっていうか(笑)。しかし同時に私もその宇宙を構成する一つの原子なんです。
 そういう変な感覚なんだね。
 すべての宇宙の原子、生き物によって私ができていると同時にその中の一つが私であるっていうね(笑)。そういう感覚があって。これはもう何ていうかな、理屈じゃなくて体験的な感覚だね。 こういう感じで経験する人もいるかもしれない。とにかくそれが一つの真理なんだね。
 とにかく前にも言ったけど、このバガヴァッド・ギーターっていうのは、究極の真理をいきなり言っちゃってる経典なんです(笑)。他のさ、ヨーガとか仏教の経典はちっちゃいとこからまず「はい、これやりなさい。これやりなさい。これやりなさい」ってグーッときて、最終的に実はこうなんだよってやるんだけど(笑)、バガヴァッド・ギーターはいきなり答えをバーッて言ってるんだね(笑)。だから非常にダイナミックなんだけど、わかりにくいところはわかりにくいかもしれない。

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