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蓮華座について

 蓮華座(結跏趺坐)について少し書いてみましょう。

 仏教やラージャ・ヨーガやジュニャーナ・ヨーガ的な心の瞑想を行なう上でも、また密教やクンダリニー・ヨーガ的なエネルギーの瞑想を行なう上でも、蓮華座は非常に大きな利益をもたらしてくれます。
 もちろん、蓮華座を組まなければ瞑想できないというわけではありません。
 他の座り方でも、椅子に座っても、立っても、寝ても、歩いても、瞑想はできます。
 たとえば私は歩いて行なう思索や瞑想は好きですね。歩くことによって深いインスピレーションがわいてきます。 しかし自分の内奥に深く入っていくには、やはり座るのが一番いいでしょう。そしてその中でも蓮華座がベストでしょう。
 その理由は、ナーディ(気道)やプラーナ(気)といった、人体のエネルギー組織の仕組みに関係します。

 まずあの足をクロスさせる座り方によって、血流とともに気の流れが締め付けられ、足周辺にある気の流れが行き場を失い、上方へと向かいます。
 ヨーガの科学では、人体の気というのは五種類あり、その中で足周辺には、アパーナという気が存在します。人体におけるこのアパーナの働きは、排泄、射精、排卵、毒素の排出などです。ですからこのアパーナという気がないと、我々は食物を排泄できないし、毒素も排出できないので、人体に必要な気ということはできます。
 しかし瞑想においては問題があります。なぜならこのアパーナとは、下降の性質を持つ気であり、そして気の働きと心の働きは連動するので、アパーナが強すぎると、心も下に引き下げられ、あまり良くない精神状態に陥り、瞑想ができないからです。
 ちなみに、気の働きと心の働きが連動するという理論を応用しているのが、ヨーガの呼吸法であるプラーナーヤーマです。つまり定められた呼吸法をすることで気の流れを整え、それによって心を整えようとしているわけです。 そして蓮華座も同様の意味があります。物理的に足を締め上げることで、アパーナ気の流れを上昇させ、それとともに精神状態も上昇傾向に向かわせるのです。

 そして蓮華座がしっかりと組めるようになると、足が深く入り、両かかとが腹部を圧迫するようになります。
 身体には無数のナーディ(気道)が存在します。その中でも最も重要なのは、身体の真ん中を走る気道です。
 ヨーガ・密教・仙道の理論を集約すると、この真ん中の気道にも、実は多種あるといえます。ヨーガでいうところの背骨のスシュムナー、密教でいうところの体の中央のアヴァドゥーティー、仙道でいうところの体の前中央の任脈などです。しかしこれらの複雑な意味については、今回は言及しません。
 そしてこの真ん中の気道の左右を走る気道があります。
 右の気道は交感神経系と関係し、我々の心身をハイで活動的で興奮状態にしてくれます。
 左の気道は副交感神経系と関係し、我々の心身を癒し、安らぎ、休息、あるいは怠惰や欝な状態にしてくれます。 普通、我々の気の流れはどちらかに偏っています。しかし本当に深い瞑想をするには、中央の気道に気を流入させないと駄目なのです。なかなかこれは普通は難しいことなのですが。
 蓮華座を組むと、締め付けられて行き場を失った気が、上に上がろうとするのですが、かかとで下腹部を圧迫していると、左右の気道が締め付けられるため、気の流れは、中央に行きやすくなるのです。もちろん、ここで背中を曲げていては、そこで停滞するので、しっかりと腰を入れ、背筋を伸ばさなければなりません。

 ところで、ついでにヨーガのクンバカについて考えてみましょう。
 クンバカとは、呼吸法やムドラーの最中に、息を止めることです。そして高度な呼吸法や、ムドラーなどでは、このクンバカと同時に、バンダと呼ばれる締め付けの作業を行ないます。具体的には、肛門を締め、横隔膜を引き上げ、のどを締め付けます。
 肛門を締め上げることで、アパーナ気が上昇します。横隔膜を引き上げることで、おなか周辺にあるサマーナ気が上昇します。しかしのどを締め付けているので、胸の辺りにあるプラーナ気は下降します。
 クンバカとは、瓶とか壷という意味があります。
 インドの家庭では、壷にスパイスをいろいろ入れ、混ぜて、その家庭独特のミックススパイス(ガラムマサラ)を作るそうです。壷にはそういうイメージがあります。そう、つまり下からの圧迫と上からの圧迫により、これらアパーナ、サマーナ、プラーナなどの気が混ざり合うのです。
 スパイスは混ぜても化学変化を起こすわけではありませんが、気は、混ぜて圧迫すると、錬金術のように、よりすぐれた別の精妙な気に変化します。その精妙な気を、スシュムナーや中央気道に入れなければいけないのです。

 ところで、蓮華座とは別の重要な座法に、達人座(シッダーサナ)というのがあります。このシッダーサナには、三種類あります。かかとで会陰と下腹部をそれぞれ圧迫する座り方と、両方のかかとで会陰を圧迫する座り方と、両方のかかとで下腹部を圧迫する座り方です。
 この会陰や下腹部は、ヨーガでいうクンダリニーや、密教でいうトゥモの炎の発生するところです。ここを刺激し、圧迫することに重点を置いてるんですね、この座り方は。

 さて、私のヨーガ教室に初めて来た人に、蓮華座を組んでみてくださいというと、最初から組める人もいますが、もちろん、組めない人もいます。しかしそれは組み方が下手なだけで、正確な組み方を教えると、その場で組めてしまう場合があります。そのような例は、今まで何例もありました。
 もちろん、正しくやっても最初は組めない人もいます。しかしそれは、アーサナ、プラーナーヤーマ、瞑想などを続けるうちに、徐々に組めるようになってきますから、問題ありません。
 欧米人などの場合は、椅子生活のためか股関節がひざが固く、なかなか厳しい人もいますが、日本人は生活習慣上、股関節・ひざ・足首が比較的柔軟なため、蓮華座には適しているはずです。

 
 さて、このようにして見かけ上正しい蓮華座が組めても、もう少し先があります。
 実は私はもともと蓮華座は楽に何時間でも組めていました。
 しかしヨーガ修行を続けて数年たったあるとき、びしっと蓮華座が【入る】という経験をしました。それはカシャッと何かがはまった感じで、「ああ、これが蓮華座か」という、一種の悟りでした(笑)。
 それ以降、蓮華座を組むだけで、体が燃えるように熱くなるようになりました。最近、ストーブをガンガンにつけてヨーガをする「ホットヨーガ」というのがはやっているそうですが、ストーブで外から暖めてもしょうがありません(笑)。この内側から生じる強烈な熱こそ、密教ではトゥモと呼ばれ、高度な修行に必要なものなのです。

 また、さらには、蓮華座を組むだけで、強烈な至福感、大楽の状態を経験するようにもなりました。
 不思議なことですね。蓮華座を組んだだけですよ(笑)。まだ何も瞑想していない状態です。ただ足を組み、腰を入れ、そして蓮華座が正しく完成された瞬間、何もしないのに、体がボワーッと燃え出し、また、強烈な至福に包まれるのです。
 だから修行っていうのは、先へ進めば進むほど、努力がいらなくなりますね。この段階に来ると、少なくともトゥモの火を起こすことや、至福感を生じさせることに関しては、努力がいらなくなります。ただ蓮華座を組めばいいんですから(笑)。そしてそれをベースに、より高度な瞑想に入っていきます。
 

 話が少し戻りますが、蓮華座が痛くて組めないという人の場合、足の柔軟性や太さなどももちろん関係してきますが、それらは実際は副次的な条件です。もっと重要なのは、気の流れと、気道のつまりなのです。
 下に向かう気の流れが強すぎたり、気の通り道である気道が詰まりすぎていると、蓮華座は強烈に痛いのです。これは足の太さとかとはあまり関係ないのです。
 私の実体験をあげましょう。私は前述のように、もともと蓮華座は楽に組めていました。だから蓮華座が痛いとか苦しいという人の気持ちがわかりませんでした。
 しかし自分の修行だけではなく、他人に指導するようになったころ、あるとき、蓮華座が非常に組みづらく感じました。痛いわけではないのですが、何か足の辺りにもわっと気が停滞していて、足がはれ上がっているような感覚があり、長く座っていられない感じなんです。
 ああ、これが、必要以上に気が下降し、停滞している状態だな、と思いました。そこで意識的に気を上昇させたところ、スーッと足の違和感は消え、またびしっとした蓮華座が復活しました。
 その後、同様の経験を何度もするうちに、「痛くて蓮華座が組めない」という人の状態が理解できるようになりました。しかしそれは逆に言えば、気を通し、上昇させれば痛みや違和感も消えるのです。もちろん、瞬時にそれができるには修練が必要ですが、ヨーガ等の修行を続けていけば、必ず誰でも気は通り、上昇し、深く正しい蓮華座が組めるようになるでしょう。
 

 さて、まとめますと、このように蓮華座には多くのメリットがあります。簡潔に言えば、気が上昇し、意識は明るく鮮明になり、肯定的かつ崇高な意識が強まります。そして雑念は消え、心は一点に集中します。どんな瞑想をするにも、このような状態で瞑想するなら、多大な効果をもたらすことでしょう。

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