第五章 師と法友
第五章 師と法友
輪廻から解脱するための絶対確実な道は、尊敬に値する師に帰依することから始まります。
小乗の悟りも菩薩の悟りも、それらはいずれも素晴らしき師を通じて訪れます。
輪廻の中の善趣の生も、またそこにおけるすべての幸福も、優れた師に帰依をすることによって訪れます。
したがって、優れた師に帰依をするべきです。
優れた師に帰依することによって、つる草がビャクダン木の芳香を身につけるように、あなた自身も尊敬に値する人間になるでしょう。
邪悪な人々に帰依することによって、汚い湿地で成長するクサ草のように、あなた自身も邪悪になるでしょう。
したがって優れた師に帰依し、悪友を拒絶する努力をすべきです。
優れた人々の特徴は何でしょうか?
彼らが世界のリーダーであるという意味において、彼らは普通の衆生に似ています。
彼らが世界を越える者であるという意味において、彼らは普通の衆生とは異なります。
また彼らは、身口意のすべての行為において、他のすべての衆生より優れています。
彼らの肉体の存在は落ち着きを与え、彼らの振る舞いは純粋で完全です。
彼らは不安を滅する智慧があり、また、彼らの言葉は楽しく明らかです。
彼らの心はとても平静で、全智の真実の宝です。
彼らの特質ははかりしれません。
彼らは慈悲に満ちていますし、彼らの深遠な智慧や彼らの心の大きさはまるで空のようです。
彼らのカリスマ的な活動には限界はありません。
彼らの慈悲の実践の中で、彼らは一度も怠惰になどなったことはありませんし、常に精進しています。また彼らは衆生の心を育むことに専念します。
マントラヤーナのグルの特徴は、さらにより多くあります。
彼はイニシエーションを授けることができ、タントラの誓いを守っています。
彼はタントラの完成の境地に達しており、また彼は、タントラの儀式や行法に熟達しています。
彼はとても親切で賢明ですし、彼は成熟と自由への道に弟子を導きます。
彼は衆生に利益を与える滋養の雲です。
智慧があり、真理を成就している、このような優れたグルに帰依をしてください。
優れたグルは、弟子が輪廻の幻影という大海を安全に乗り越えていくための舵手であり、真理の旅に出た人々の比類のない指導者なのです。
彼は、希望を達成する宝石です。
彼は、カルマと感情の火を消滅させる神の甘露です。
彼は、真理の涼しい雨を衆生へ降り注ぐ素晴らしい雨雲です。
彼は、能力のあるものを喜ばせる雷です。
彼は、三毒の疾病を治す医者の王です。
彼は、無明の闇を取り払う明るい灯火です。
彼は、すべての衆生に幸福を与える如意宝樹です。
彼は、願いがすべて自然に達成される如意宝珠です。
彼は、大きな慈愛の太陽の無数の放射線です。
彼は、苦悩を取り除き、繁栄と幸福を与える、白い月の光です。
その広大な精神性は、無限に広がる透明な空のようです。
彼の慈悲の心と行為は、大海の果てしない深さのようです。
それらの慈悲の絶え間ない動きは、河の激流のようです。
彼の絶対的な安定性は、スメール山のようです。
輪廻の世界に住んでいても彼が汚れのない存在であることは、泥の中で育つ蓮華のようです。
すべての衆生に対する彼の平静さと慈悲は、父母のようです。
彼が迷える衆生の魂を導く指導者であることは、強力な王のようです。
このような優れたグルという存在は、弟子にとっては、今生きているブッダそのものです。
彼を見ること、聞くこと、思い出すこと、触れることは、輪廻を追いやり、魂の重荷を取り去ります。
このようなブッダそのものであるグルは、
ブッダ、ダルマ、サンガという三宝と同様の、4番目の宝です。
彼は曼荼羅の君主であるシュリー・ヘールカです。
彼はこの邪悪の時代において、すべてのブッダを代表して行動するので、彼はすべてのブッダを一身に集めた存在です。
このようなすべての成就の源であるヴァジュラの師に礼拝をして、身口意を正直に、純粋にすべきです。
彼は、私たちが邪悪な世界へ落ちることを阻止し、幸福な世界へ導いてくれ、今生と未来際における繁栄(現世的幸福)と至福(解脱)を約束してくれるでしょう。
彼は真理を示し、私たちの心に精神的な利益を与えます。
今生のこの人生において、成就と自由への道を私たちに説き示してくれるこのようなグルに、堅固で不変な信を持ち、どんなときでも彼に熱心に帰依してください。
病人が医者を必要とするように、
孤独な旅人が危険な道で護衛を必要とするように、
河を渡るときに船頭を必要とするように、
煩悩を鎮めるために、害を無害にするために、生と死を克服するために、輪廻の大海を渡るために、師に帰依しなければなりません。
正しい弟子は、心の中で次のような肯定的なイメージを持ってください。
あなたは重病人であり、
師は名医であり、
教えは医薬であり、
修行に努力することは薬を飲むことであり、
その結果訪れる平和および幸福は、病気を取り除いた結果なのです。
師に対して信がなく、尊敬がなく、衆生への慈悲もないような弟子は、価値がなく、すべての有害の源です。
そのような弟子の心には五つの毒がはこびっていて、彼らは、何が価値があるか、そして何が価値がないか、何が善が、何が悪かについて混乱しています。
彼らは義務と献身を好まず、自分の欠点に対して何も対処しません。
彼らは智慧を得ることが困難ですし、彼らの中には怒りがあり、とげのある言葉を吐きます。
そのような弟子は、師に対して次のような間違ったイメージを抱いています。
師は鹿であり、
教えは鹿から取れる貴重なジャコウであり、
弟子である彼自身はハンターであり、
彼の修行の努力は鹿に向かって矢を射ることであり、
そして、彼が得る修行の結果は、ジャコウをどこかに売ることです。
このような弟子は、せっかく優れた師と巡り合っても、今生、そして未来際において苦しむでしょう。
彼らは最初、師に対して大きな賞賛をすることもありますが、後には悪口を言います。
あるいは人々の前で師を中傷したり、悪知恵によって師や師の周りの者の面目を失わせたりするでしょう。
このような行為の結果は、明らかに地獄です。
優れた弟子は、
信があり、
高度な洞察力があり、
勤勉で、
良心的で、
慎重で、
知識が豊富で、
師の言葉を忠実に実行し、
自己の身口意をコントロールし、
慈悲があり、
他の衆生の幸福に深い関心を持ち、
親切であり、
忍耐強く、
寛大で、
安定していて、
深く献身的で、
師の状態に常に気を遣うでしょう。
彼らは師の欠点を捜さず、もし一般的に欠点と思えるものを見つけたとしても、それらを隠れた長所と見なします。
あるいは、これらの欠点は師の中に実在するものではなく、自分の誤った見解であると思うことによって、彼らは結果的に自分の欠点を治療することができます。
彼らは、師を不快にするものすべてを拒絶します、また彼らは、師を喜ばせるためにあらゆる努力をします。
たとえ師と仲のよい間柄であっても、彼らは師の言葉に反せず、師のまわりのものを尊重して慎重に取り扱います。
彼らは師に背を向けません。
彼らは師に笑顔を示します。決して腹を立てた表情をしたり、眉をひそめたりはしません。
彼らは師に対して軽率に話しません。もちろん師に対して嘘をつかず、中傷もしないでしょう。
そして彼らは師の前で他者の欠点を言いませんし、不愉快な荒い言葉を使用しないでしょう。
彼らは師の持ち物を欲しがりませんし、すべての有害な考えを捨てるでしょう。
そこに理解不能な隠れた意図があることを知っているので、彼らは師の様々な行為および計画を、間違いや誤解として判断しません。
彼らは、師の悪やあらを捜してしまうという誤った習性を放棄するでしょう。
彼らが師に対して腹を立ててしまったとき、彼らは自らの過ちを観察し、認め、自制し、そして頭を下げ、誠実に懺悔をすることでしょう。それによって彼らは師を喜ばせ、素早く目的を達成するでしょう。
彼らが師に会うときは、立ち上がって師に挨拶するでしょう。
師が座るとき、彼らは師に快適な座席などを提供するでしょう。
彼らは快い言葉で師を賞賛するでしょう。
常に師に畏敬の念を抱き、注意深く、良心的で、気遣いを持ち、忠実に、そして素直に、彼らは師に付き添うでしょう。
師の近くでは、彼らは若い新婦のように恥ずかしがらず、気取って歩かず、あるいは怠惰にならず、横暴にならず、軽薄に褒めそやさず、嘘をつかず、偽善者ぶりません。
また彼らは、師の近くにいる人や師の家族などに対して、愛着や嫌悪を持たないでしょう。
もし彼らが富を持っているならば、彼らは師へ布施をするでしょう。
また彼らは身体と言葉と心において師に仕え、敬意を払い、尊敬するでしょう。
あるいはこの現世にするこだわりを捨て、さまざまな修行の達成によって師を喜ばせるでしょう。
もし他の者が自分の師について悪意あることを話すなら、彼らは師の正しさを主張し、異議を唱えるでしょう。
もしそうすることができなければ、彼らは何度も何度も師の素晴らしさについて考えるでしょうし、悪意のある言葉には耳を閉じて、心の中で師の慈悲を乞い、そのような悪人にも師の恩寵があることを願うでしょう。
それらの帰依の実践によって、彼らは、未来際においても繁栄を獲得します。
――彼らは未来際においても偉大な師に出会い、価値ある教えを聞くでしょうし、また彼らは、健康的で調和のとれた心身と共に、修行の段階に付属する富や素晴らしい特質でいっぱいになります。
また彼らは、現世的な生活においても幸福と平和を得るでしょう。
したがって、優れた師に帰依し、
邪悪な人、および悪友を拒絶するべきです。
上にあげたような特質を持っていず、多くの悪い欠点を持っていて、義務と責任を軽蔑し、親切、慈悲および智慧をほとんど有していない師は、怠惰で、不活発で、無智で、プライドが高く、暴力的な嫌悪に満ち、五毒がとても強い者であり、今生のことだけを心配し、無意味で偽善的な教えを説きます。
このような師は、信者を悪趣へと導くので、菩薩(救済者)の道を熱望している人々は、絶対に彼に帰依してはなりません。
同様に、悪友は拒絶されるべきです。
あなたが悪友と仲良くなるならば、弊害は広がり、善は衰退し、また煩悩的感情は増大します。
善趣への道は阻害され、また悪趣への道が現われて、あなたを支配します。
悪友は優れた人々を非難し、明るい特質を嫌います。彼らは悪を賞賛し、また暗黒に依存します。
彼らは、彼らと有害な行為を共有する人々のことを大いに褒めてに話します。
彼らは人を常に間違った方法で悪趣へ導くので、智慧の目を持つ人は、彼らからずっと遠くに離れているべきです。
悪友および彼らの加担者を近づけないことによって、幸福や良い特質は、現在および未来において高まります。
善は絶えず増加し、深遠な菩薩の道を堅固に歩くことができます。
あなたは今生では幸福な人生に向かい、死後は善趣へと行き、また想像を超えた偉大なる特質を持つでしょう。
あなたはすぐれた善友とともにあるべきです。
――彼らとともにあることによって、善行は増大し、悪行や煩悩は減少します。そしてあなたは高い世界や悟りへと向かうでしょう。
輪廻の中にあって、あなたは恐れることなく、はかりしれない繁栄と至福を見つけるでしょう。
優れた師や法友は、この退化した時代に現われるブッダの顕現であり、人類のリーダーです。
この上ない悟りのまさに本質を成就するまで、優れた師や法友に帰依すべきです。
それによって、純粋なヴィジョンは無制限に生じるでしょう。そして慈愛および慈悲の心は増大し、幸福は保証されます。
あなたが日々考えなければならず、実践しなければならない師への祈りの方法は、次のとおりです。
――絶えず功徳を積むことと、無明を浄化することを積み重ねつつ、
あなたは昼間の間は頭頂に、夜の間は心臓の中に、あなたの根本グルを観想しなければなりません。
そのグルは、イダムやダーカやダーキニー、さまざまな伝統的なグルなどに囲まれており、ブッダそのものとなんら変わらないお方であると考えて、心の中で崇拝し、祈りを捧げなければなりません。
あなたは、
「オーム ○○(師の名前) アー」
または、
「オーム ○○(師の名前) フーム」
と唱えた後、適切な言葉で祈りを捧げます。
そして次に、適切な観想を行なうべきです。
たとえばもしあなたが疾病、苦悩、障害、無明などからの解放を望むなら、グルがすべての方向へ白い光線を放射し、それによってそれらのすべての障害がおさまり、衆生が悟りに到達すると観想しなければなりません。
もしあなたがさまざまな妨害および邪悪な力を根絶したいと思うならば、グルから濃い藍色の光線が放射され、無数の聖なる武器と、聖なる炎の車輪によって、それらの邪悪なものが征服されると観想しなければなりません。
その他、グルから指示された方法で観想を行なった後、あなたはこれらのイメージをすべてグルの中に集約し、そしてそれらを瞬間的に、非主体的であり、完全に解放された空性の中に溶け込ませなければなりません。
これらの観想を日々行なうことは、大きな利益があり、最高の至福の大海に至る道です。
もし特に重大な病気、有害な影響、障害および死の前兆がある場合、
グルがあなたの眼前の空中に、彼の勇猛さを象徴するライオン王座の上に座っておられ、系統の師、菩薩、およびダーカやダーキニーに囲まれている様を観想します。
そしてあなたはそのブッダと変わることのないグルの笑顔や華麗さついて思いを巡らすべきです。
そして自分の心臓にあるフーム字から、自分の分身である白い姿の勇者があらわれ、あなたの頭頂から外に出ると観想します。
その勇者は手に頭蓋骨のお椀と短剣を持ち、その短剣であなたの首を切り、またその頭を、眉のあたりから切りとります。
顔の部分の台に乗せられた頭蓋骨のお椀の内部は、切り裂かれたあなたの体の肉、血液および骨で満たされます。
そこに上から甘露の雨が降り、下からは火が燃えさかり、頭蓋骨の中は、三千大千世界を満たすのに十分な甘露であふれんばかりになります。
勇者は無数の分身を現わして、頭蓋骨から甘露を取って、グルとすべての衆生に供養します。
こうしてすべての衆生が満足したとき、無始の過去からあなたを取り巻いていた災難は終わりを遂げたと考えます。
また、特に危害を引き起こす悪魔にも甘露を供養することによって、すべての障害は終わったと考えます。
次に、グルから「すべてを達成する光線」が発されて、あなたに入ってきます。それによって病は緩和され、邪悪な影響は終わり、そして障害は消え、恩寵を得るでしょう。
その後、絶対的な平静な心の状態の中に静止してください。あたかも幻が消えるかのように、すべてのヴィジョンを純粋な空の中へ溶解させてください。
こうして、功徳と智慧の二つの集積は完全になり、また無明と渇愛は取り除かれ、深い悟りに到達したと考えます。
もはやそこでは自我意識への信頼はなくなり、世界はすべてあなたの師そのものとなります。
人生において妨害はなく、また死後のバルド(中間状態)においても障害はありません。
このような素晴らしい達成を成し遂げるためのよりどころはグルです。したがって、グルを悟るために懸命に努力してください。
縁のある優れたグルに、たった一瞬でも会うことは、数カルパの間ひとりで修行し続けることよりも優れているといわれています。
魂に真の幸福を与える甘露の雨を望む人は、慈悲深きグルに帰依すべきです。
無始の過去から、煩悩的感情によって、われわれは耐えがたい苦痛にさいなまれ続けてきました。
その苦痛を除去するために、サダープラルディタなどの菩薩によって行なわれたように、すべてを犠牲にして、あなたを救済するグルに帰依しなければなりません。
わたしたちを対象への耽溺に誘惑する甘く間違った道に付き従い続け、
疲弊し切った衆生の心が、
今日こそ、安らぎと幸福を見つけられますように。
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