念をおちつけて
ブッダの説かれたとおりに、呼吸を整える念をよく修行して、完成し、順次に(諸々の煩悩を)克服してきた人は、雲を脱れた月のように、この世を照らす。
身をまっ真ぐに立て、心もそのようにして、立っても、坐しても、臥しても、つねに念をおちつけてととのえているビックは、過去についても未来についても、勝れた境地を得るであろう。過去についても未来についても勝れた境地を得たならば、死王も見えないことになるであろう。
身体についてつねに真相を念じ、つねに諸々の感官を慎しみ、心を安定させている者は、それによってニルヴァーナを知るであろう。
もしもある人にとって身体について真相を念うことがつねに完全に確立したならば、その(「我」という迷い)は存在しないであろう。「わがもの」という迷いも存在しないであろう。その(「我」という迷い)はあらわれないであろう。「わがもの」という迷いも起こらないであろう。この人は種々の念に順次に住するから、やがて適当な時が来れば、執着(の流れ)を超えるであろう。
目ざめていて、念を落ちつけ、正気でいて、心を統一安定させ、喜んで、心もちが明らかに澄んでいる者は、適当な時々に正しい教えを熟考して、生まれと老い、ならびに憂いをのり越えよ。
それゆえに、つねに目ざめておれ。念を落ち着けて、怠ることなく、勇を鼓して、生まれと老いという束縛の絆を捨てて、この世にありながら苦しみを終滅させる。
目ざめている者どもは、わがことばを聞け。眠っている者どもは、目ざめよ。眠っている者どもよりは目ざめている者がすぐれている。目ざめている者には恐れが無いからである。
人がつねに目ざめていて、昼も夜もつとめ学び、アムリタ(不死)を得ようとしているならば、その人のもろもろのけがれは消え失せる。
ブッダに帰依した人々は得るところがある。――かれらは昼も夜もつねにブッダを念じているので。
法に帰依した人々は得るところがある。――かれらは昼も夜もつねに法を念じているので。
サンガに帰依した人々は得るところがある。――かれらは昼も夜もサンガを念じているので。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜もつねにブッダを念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜もつねに法を念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜もつねにサンガを念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜もつねに身体(の真相)を念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜も心の統一安定を念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜も戒を念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜も捨て去ることを念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜も神々を念じている。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、昼も夜もその心は不害を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は怒り害しないことを楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は昼も夜も解放を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は瞑想を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は遠ざかり離れる孤独を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は空を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は無相を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は不所有を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心は修習を楽しんでいる。
ゴータマのこの弟子たちは、よく覚醒していて、その心はニルヴァーナを楽しんでいる。
(ウダーナヴァルガ)