ティローのヴァジュラのドーハー
グルに帰依いたします。
西のソーマプリの寺院にて、ヨーギーの主ティローは、足を鉄の鎖で縛り、十二年間修行した。
このようにして彼は、イダムを目の当たりにする普通のシッディを得た。
そして彼は、南インドのアーチャーリヤ・ナーガールジュナを探しに行った。
南の「恐るべき笑い声」と呼ばれる大火葬場に、多くの仏教徒、そして非仏教徒のダーキニーたちが、彼らの聖日の終わりまで集会しているマヘーシュワラの聖堂があった。
彼らがガナチャクラの準備をしている間に、ティローは、ヨーギーの戒を実践し、草の小屋に住むアーチャーリヤ・マータンギーを訪れた。
ティローは彼にこう尋ねた。「あなたはグル・ナーガールジュナを知っていますか?」
「彼は、ガンダルヴァの王にダルマを説くために出て行った。彼は、気高き人間であるお前の面倒をみるようにと、わたしを送り出したのだ」とマータンギーは答えた。
ティローは彼にマンダラをささげた。マータンギーはシュリー・グヒャサマージャのアビシェーカを執り行ない、口頭の教えをティローに与えた。
そして彼は、ティローにこのように教えを説いた。
「心の本質はこのようである。さまようことなく本質を絶えず瞑想せよ。」
このようにして、ティローの家系のおごりは破壊された。
それからマータンギーは、悟りの道を実現するために、行為に入る許可を彼に与えた。
彼は言った。
「気高き人間であるお前は、ここから東に向かって、ベンガルの地域へと長い旅をするべきだ。サホールにハリキーラという大都市がある。その国はかつてラージャ・ウドマケーマラという化身された王によって祝福された。そこでは、成就は自然に促進され、そして人は道を速やかに進むことができる。その都市の中心に、五感の喜びに満ちたパンチャパナという市場がある。そこには、多くの召使と従者を持つバリマーという売春婦がいる。彼女に奉仕し、悟りの道を修行しなさい。一瞬にしてお前は、マハームドラーの最上なるシッディを得、多くの衆生を解脱させるだろう。」
ヨーギーの主は、グルの命令に従って修行した。
夜分には彼は、男たちをエスコートすることで売春婦を手伝い、昼間にはゴマを潰す仕事をした。
このようにして彼は、ありのままの物事である本質の悟りを実現した。
彼がマハームドラーの最上なるシッディに達したとき、街の人々はさまざまに彼を見た。
ある者たちは、十四の灯火に囲まれた赤々と燃え上がる篝火(かがりび)を見た。
ある者たちは、光の密集体の中心に瞑想して座っているビック衆を見た。
またある者たちは、装飾された火葬場、そして右回りの礼を行い、彼に礼拝する多くの少女たちで飾られたヨーギーを見た。
人々はバリマーのもとへ行き、彼女にこれらを話した。
彼女は、彼女の目の前の空中に、光の密集体の中心で大いに騒ぎ遊ぶ王のように座っているティローを見た。
彼は右手にすりこぎを持ち、ゴマを潰していた。
バリマーは懺悔し、彼女の心は苦しみに苛まれた。
彼女は彼に礼拝し、彼の周りを回り、彼にマンダラをささげた。
それから彼女は、彼の御足を頭頂で受け止め、こう懇願した。
「おお、尊師よ、どうか、わたしがあなたをシッダとして認識せずに集積してきた悪行をお許しください。今日から永遠に、わたしを受け入れてください。」
ティローはこう言った。
「あなたがわたしに仕事をくれたときは、あなたはわたしが聖なる存在だと知らなかったのだから、そこに過失はない。そして、この仕事によって、わたしは道を修習した。今、一切のダルマの生来の不生の本性であるこのサハジャの叡智は、わたしの存在の中に生じた。これがあなたの心の中にも入らんことを。」
このように言って彼は、花を彼女の頭頂に置いた。するとその瞬間に彼女は解脱し、祝福の道のヴィジョンを得て、ヨーギニーとなった。
その国の王は、バリマーが化身されたヨーギーによって解放されたと聞き、象に乗って、多くの従者たちと共に見物しに行った。
ヨーギーとダリマーは、市場の十字路に座り、バナナの木の七本分の高さまで宙を昇っていった。
それからティローは、鳴り響く、調和の取れたマハームドラーの声で、このヴァジュラのドーハーを歌った。
ゴマ油がエッセンス。
無智な者は、それがゴマの中にあると知っていても、
因と果とふさわしい方法を知らない。
故に、ゴマ油であるエッセンスを絞ることができない。
生来のサハジャの叡智は、
一切の衆生の心の中に住まうが、
グルによって示されなければ、それは悟られ得ない。
種の中にとどまるゴマ油のように、それは現われない。
ある者は、ゴマを叩くことでその殻を取り除き、
そのゴマ油、エッセンスは現われる。
同様に、グルに近くなるとき、
タタターの真実が示され、
一切の現象は一つの精髄の中で不可分となる。
おお! 深遠で計り知れない真理は、
この瞬間に明らかとなる。
おお、なんと素晴らしきこと!
このように、究極の意味の真理においては、修習されるべき道はなく、放棄されるものと対抗手段に違いはなく、そして、放棄されるものも、成就の中で悟られるものもない。
しかし相対的真理においては、一切のダルマが因と果に依存する。
これは、ゴマとゴマ油の例えで説明される。
もし、すり鉢とすりこぎと人の手の組み合わせによって、砕く作業と抽出の作業が為されないならば、人は油を得ることはできない。
なぜなら、一切のものは、一つの因によってでなく、一つの条件によってでなく、むしろ縁起の集合体の力によって生み出されるからである。
同様に、ダルマカーヤは一切の衆生に遍在しているにもかかわらず、グルがそれを示さなければ、悟りの道は実行されず、成就は実現されない。
このように、相対的真理において、一切のダルマは因果の縁起に依存しているのだから、本質の智慧を実現させる悟りは、ゴマを潰すという言葉で表現される。
そのとき、タタターの音を聞いただけで、そこに集まった一切の人々が、煩悩の束縛から解放された。
彼らは、本質の智慧を理解し、天の領域のシッディを得た。
そのとき、サホールの国は空(から)になった。