確固たる土台に
1986年にチベットを初めて訪れたラファエルが、そのときの経験談を話してくれたことがある。それは、中国によるチベット侵略の際に、身の毛がよだつような恐ろしい経験をした人物との感激的な出会いだった。
「その方は、長椅子に座るように勧めてくれて、大きな魔法瓶からお茶を入れてくださったの。西洋人と話すのは、そのときが初めてだったそうよ。わたしたちは話しながらよく笑ったわ。その方は本当に愛すべき人物で、子供たちがひっきりなしにわたしたちを囲んで、驚いた様子でじろじろ見ていたわ。わたしを質問攻めにしたお返しに、中国の侵略者によって受けた残虐な仕打ちのことを話してくれたの。12年もの間、獄中につながれて、その間にダク・イェルパ渓谷ダムで石切労働の刑を宣告されたのですって。完全に干からびた川底にダムを作る工事なんて全く無意味だったそうよ。その方を除いて、労働に駆り出された友人全員が、一人、また一人と飢えと疲労で死んでいったのですって。でも、それほど過酷な経験を話しているのに、その方の発する言葉からは憎しみのかけらもかんじられなかった。目には恨みの色が全くなくて、思いやりと暖かさでいっぱいだった。その夜、床に就いたとき、あれ程の苦難を経験したのに、どうしてあんなに幸せそうにしていられるのかしら、と不思議でならなかったわ」。
心の平和を維持する技を体得した人は、成功して鼻高々になることもなければ、失敗して意気消沈することもない。そのような人は、どのような経験もつかの間のものにすぎず、それにこだわることがどれほど無意味かを十分に理解している。そのため、どのような経験でも、深く平穏な心の状態を保つための修行の一つにしてしまうのである。事態が悪化したり、逆境に置かれたりしても、「衝突」して破滅する危険はない。その人の幸福は、確固たる土台に根差しているため、心がぐらつかず、抑うつの底に沈みこむこともない。
――マチウ・リカール
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