◎敵のように
◎敵のように
【本文】
物惜しみ、偽り、貪り、怠惰、慢心、愛着、怒り、家柄や容色や知識や若さや能力に関するうぬぼれを、敵のようにみなしてください。
これはこのままですね。物惜しみ、偽り、貪り、怠惰、慢心、愛着、怒り、それからさまざまなことに対するうぬぼれね――これらは敵なんだと。こういう気持ちがもし起こってきたら、敵がやってきたと思って、そういった心をすべて捨てるようにしなさいということだね。
◎怠惰を離れる
【本文】
怠惰を離れることは不死の甘露のもとであり、怠惰は死のもとである、とムニは説かれています。それゆえあなたは徳を増大するために、常に敬虔に怠らないようにしてください。
およそ以前に怠惰であった人が後に怠惰でなくなるなら、その人も雲から出た月のように美しく、たとえば、ナンダやアングリマーラやクシェーマダルシンやウダヤナのようであります。
ここでいう怠惰というのは、二つ意味があります。一つの意味は、言葉どおり「怠ける」という意味の怠惰ね。「ああ、やる気がない」と。これが怠惰。
で、もう一つの怠惰というのは、これはよく仏教で使われる怠惰という意味なんだけど、「しっかりと真理を考えない」、あるいは、「真理の実践を真剣に考えないこと」を怠惰といいます。
つまり例えば、「え? 何みんな修行してるの? おれ金稼ぎたいんだよ」って、この人はものすごい全力で金稼いでる。これは一見すると、怠惰じゃないじゃないですか。でもこれは仏教的にいうと怠惰なんです(笑)。つまり本気で本気で人生を考えたら、金なんてどうでもいいということが分かる。修行しなきゃいけないということ分かるはずなんだけど、怠惰だから考えないっていう発想なんだね。
怠惰っていうのは、もう一回言うけども、文字通り何もしない、ボーっとしてやる気がないっていう意味も一つあるけど、もう一つは、本当に自分にとって何が必要なのか、どう生きるのが最高なのかということを考えないがゆえに、いろんなカルマに流されて、どうでもいいことをしている――これを怠惰といいます。で、それは超えなきゃいけないと。
◎怠惰を乗り越えた例
ここで例として挙げられている、ナンダやアングリマーラやクシェーマダルシンやウダヤナっていうのは、これは仏教のお釈迦様の時代に実在した、みんな昔ちょっと駄目だったんだけど、それを乗り越えた人たちの話なんだね。
ちょっと簡単に言うけどね、まずナンダは何回か話したけども、ナンダはお釈迦様のいとこなんだけど、超欲望が強くて、お釈迦様が無理やり出家させるんだね。お釈迦様って結構強引で、解脱してブッダになったあと、故郷に帰って、自分の親戚の有望な男たちを全員出家させちゃうんです。そのときにナンダも強引に出家させた。
お釈迦様が故郷に帰ってきて、どんどん親戚を出家させてるっていう噂が広まった。ナンダっていとこだから、超、狙われてた(笑)。新婚だったので、奥さんがそれを恐れていたんだね。あるときお釈迦様が部屋にいて、ナンダを呼んだんですね。そこで女の勘でピンと来た。ナンダの奥さんはナンダの額にちょんと水をたらして、「何か用事があって呼ばれたそうですが、この水が蒸発する前に帰ってきてください」って言った(笑)。すぐ帰って来いっていう意味なんだけど(笑)。用事済んだらすぐ帰って来いと。ナンダは、「ああ、分かったよ」って言って、行ったわけです。まあちょっとある用事があって、それが終わって、奥さんが怖いからそそくさと帰ろうとしたら、お釈迦様が「待ちなさい」と(笑)。「来なさい」と言って、淡々と教えを説かれて(笑)、出家させられちゃったんだね。
こうして強引にお釈迦様の力で出家させられたんだけど、もう超欲望が強かったから、奥さんのことが忘れられずに修行どころじゃなかった。この話は前も話したので、ちょっとはしょるけども、お釈迦様の力によってこのナンダは、最終的には心を入れ替えて「調伏根第一」って呼ばれるようになったんです。ここでいう根というのは、感覚の喜びのことです。リアルに言っちゃうと、セックスとかあるいはおいしいものを食べるとか、あるいは楽しい歌や踊りを見るとか、そういうのが大好きだったんです、ナンダは。でも最終的に、弟子の中で最もそれらに打ち勝ったものといわれたんです。つまりナンダは、超、心を入れ替えたんだね。その分野において最悪だったやつが、最高になったわけだから。だからナンダってすごくよく例に出される。あんなに欲望に弱かった人が、お釈迦様の弟子で最も欲望に強い人になったんです。だから君もそうなりなさいと。
他も同じだね。アングリマーラ――これもよく知ってるね。アングリマーラっていうのは最初、あまりよくない師匠の弟子になって――これもいろんな長い物語があるんだけど、はしょると、よくない師匠が適当なことを言って、「君は千人、人を殺して、その指を切るたびに首飾りにしなさい」と。「千人殺した段階で、君は解脱するよ」って言われた。そんなのはもちろん嘘だったんだけど、アングリマーラはそれを信じて人殺しを日々続けていたんだね。そして九百九十九人殺して、千人目にお釈迦様に出会った。でもお釈迦様のことはなぜか殺せなかった。お釈迦様には殺されるカルマがないから、殺せないんだね。で、お釈迦様に屈服して、弟子入りした。当然九百九十九人殺したっていう超悪いカルマがあったから、他の人よりも修行が大変だったはずなわけです。しかし何とかそのカルマを乗り越えて、解脱した。これもものすごいカルマを持っていたんだが――つまりこれが怠惰という言葉であらわされてる――ものすごい悪いカルマを持って、真理のしの字もなかった男が、心を入れ替えて、阿羅漢になってしまった。だから君も頑張りなよっていう話だね。
あるいはクシェーマダルシン――これはアジャータサットゥ王のことです。アジャータサットゥというのは、以前にお釈迦様の悪い弟子のデーヴァダッタっていうのにそそのかされて、自分の父親を殺すんだね。お釈迦様の信者だった父親を殺しちゃうっていう悪業を犯すんだけど、後には心を入れ替えて、お釈迦様の弟子になって、人々を仏教によって導いたという人です。この人も、以前の悪しき状態から心を入れ替えたっていう例として出された。
ウダヤナっていうのはあまり有名じゃないんだけど、この人もアジャータサットゥと同じような人といわれています。以前そそのかされて人殺しをしようとするんだけど、後に心を入れ替えて仏教徒になったという人だね。
はい、このようにまず怠惰を超えなさい。つまり悪しき生き方をやめて、真理のみに全力で生きなさいと。しかし今あなたが、あるいは以前あなたがそのような悪しき怠惰な状態であったとしても、それはこれからあなたたちの努力しだいで、ここに挙げられた例のように、どのようにも進化できますよと。だから頑張りなさいということだね。