ラーマクリシュナーナンダ(3)
◎ラーマクリシュナの喜び
師ラーマクリシュナの死後、しばらくの間、シャシは極度の意気消沈の中にありました。しばらくして、「バラナゴルの幽霊屋敷」と呼ばれたボロ屋に、ラーマクリシュナの若い弟子たちが集まりだし、霊性の修行に励み出しました。シャシもまたそれに参加しました。
この「バラナゴルの幽霊屋敷」において、シャシが果たした役割には大きなものがありました。ラーマクリシュナの若き弟子たちは、一心不乱に至高者への道を探求し、肉体が生きようと死のうと無頓着だったため、食べ物が全くない日もありました。シャシは、兄弟弟子たちが実際に飢え死にすることがないように、様々な世話をしました。兄弟弟子たちの生活費のために、短期間ではありましたが、働きに出たこともありました。彼はよく兄弟弟子たちに、
「君たちは修行に専念してくれればいい。他のことは心配しないでくれ。わたしが托鉢をして僧院を守っていくから。」
と言っていました。
ラーマクリシュナの弟子たちのリーダーであったヴィヴェーカーナンダは、ずっと後に、この祝福された日々のことを思い出しながら、ラーマクリシュナーナンダについてこう言いました。
「わたしたちがシャシの中に見いだした理想に向かう姿勢の、何と揺るぎないものであったか! 彼はわたしたちの母であった。わたしたちの食べ物を何とか手に入れてくれたのは、彼だった。
わたしたちはいつも午前三時に起きた。それから皆は、ある者は沐浴をすませてから、礼拝室に行き、ジャパと瞑想に没頭した。瞑想が午後四時か五時まで続くこともたびたびだった。シャシは夕食を作って待っていてくれた。必要とあれば、ものすごい力でわたしたちを瞑想から引きずり出したものだった。当時はわたしたちは、この世が存続しようとしまいと、どうでもよかったのだ。」
やがて、世を捨てた若者たちの親たちが次々にバラナゴル僧院にやってきて、彼らを家に連れ戻そうとしましたが、無駄に終わりました。シャシの父親もやってきて、シャシを連れ帰ろうとなだめすかしましたが、シャシは断固としてこう言いました。
「わたしにとっては、世間や家庭は、虎の群がるところのようなものです。」
やがて若者たちは、正式にこの世を放棄する誓いを立て、出家修行者となりました。このときを境に彼らは、神聖な修行者としての名前を名乗るようになりました。
シャシは「ラーマクリシュナーナンダ(ラーマクリシュナの喜び)」という素晴らしい名前を与えられました。リーダーのヴィヴェーカーナンダは、本当は自分がその名前を名乗りたかったのですが、シャシのほうがそれを名乗る資格があると考え、シャシにその名を与えたのでした。
師ラーマクリシュナが肉体を去っても、ラーマクリシュナーナンダにとって、師の存在は常にリアルにそこにあるものであり続けました。ラーマクリシュナーナンダは、師の遺骨に対して、師が生きていたときと同じように、奉仕し続けたのです。彼は細やかな配慮をもって、日々、ラーマクリシュナへの礼拝をおこないました。彼はラーマクリシュナに捧げられた食物のお下がり以外は、口にしようとしませんでした。
やがて他の兄弟弟子たちは次々と遍歴の放浪に旅立ちましたが、ラーマクリシュナーナンダだけは、まるで番犬のように、師の遺骨がまつられている聖なる僧院を動きませんでした。遍歴に出た兄弟弟子たちがいつでも戻ってこられるように、師の遺骨と僧院を守ることが、ラーマクリシュナーナンダが自らに課した使命だったのでした。実際に彼はただの一度も、聖地巡礼に行こうとはしませんでした。彼にとっては、師ラーマクリシュナの遺骨がまつられている場所以上の聖地などは、どこにもなかったのです。