ライトエッセイ こ・・・コシポルのガーデンハウス
ラーマクリシュナが晩年、病気療養のために転居し、そのまま亡くなった場所である。
もともと借家だったので、ラーマクリシュナの死後いったん手放されたが、その後、ラーマクリシュナの弟子たちによって買い取られ、今では聖地として巡礼の対象になっている。
ところで、ラーマクリシュナのような聖者が病気になるということについて、どう考えたらよいだろうか?
――といいながら、実はわたしの中には、これについて「どう考えたらよいだろうか?」などという発想はなかった(笑)。しかし例えばヴィヴェーカーナンダは晩年、喘息と糖尿病に苦しんだわけだが、そのようなヴィヴェーカーナンダを見て、信を失い離れていった西洋の信者が多くいたというのだ。
これは逆に驚きだ。「聖者は病気にならない。病気になったのなら聖者ではない」などと思っていたのだろうか(笑)? なんと唯物的な考えだろう。
実際、聖者が病気になる理由にはいろいろあるだろう。弟子や衆生のカルマを背負ったのかもしれない。あるいは聖者といってもまだ完成者ではない場合、より高い段階へ進むための何らかのステップかもしれない。
しかし聖者といっても例えばアヴァターラや完成者の場合、そもそも彼は一切を超えているので、病気であろうが健康であろうが全く関係がないのだ。
ラーマクリシュナは癌になるよりもっと以前に、転んで腕を骨折したことがあった。それについてラーマクリシュナは、「これで不埒な者たちは離れていくだろう」というような趣旨のことを言った。つまりその当時のインドでも、そのような浅い未熟な信の者たちがいて、そのような者たちを振るい落とすために骨折をしたということだ。
ところで、ラーマクリシュナがこのコシポルのガーデンハウスで療養の日々に入ったとき――そこは信者の多くが住むカルカッタの中心から少し遠かったため――通いではなく泊まり込みで師の看病をする者たちが必要になった。そこで後に出家する十名ほどのラーマクリシュナの若き弟子たちが、学業も家族のことも顧みずに、ガーデンハウスに泊まり込んだ。そして彼らはナレン(のちのヴィヴェーカーナンダ)をリーダーとして、師への奉仕と、師の教えを体得するための修行の日々に没頭した。
ところで、ラーマクリシュナに非常に近く、のちに出家した十数名の若き弟子たちのうち、トゥリヤーナンダ(当時の名前はハリナート)という弟子は、他の弟子たちのようにコシポルに泊まり込んで師の看病をするということをしなかった。それはなぜだろうか?
トゥリヤーナンダはラーマクリシュナに信がなかったのか?――彼の伝記や残された言葉を見る限りは、そうは考えられない。
そのヒントは、トゥリヤーナンダの伝記の中にある、一つのエピソードの中にある気がする。以下に少し引用しよう。
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ハリナートは、師ラーマクリシュナが神の化身であると信じていた。それゆえ、師が病気になったとき、彼は師が本当に病魔に打ち負かされたのだとは信じなかった。――一切は主のお遊びなのである。
ラーマクリシュナが咽頭癌にかかってコシポルで療養していたある日、ハリナートは師に「お加減はいかがでございますか」と尋ねた。
ラーマクリシュナは答えた。
「ああ、非常に苦しいよ。何も食べることができないし、耐えられないほど、喉が焼け付くようなのだ。」
しかしハリナートは騙されはしなかった。彼は師が自分の信仰を確かめているのだということを見て取った。悟った者にとっては、幸福も不幸も常に同じなはずだからである。
ラーマクリシュナが不平を言えば言うほど、それは師が自分を試しているのだということが、ハリナートにはいっそうよく分かった。そしてハリナートは突然、叫んだ。
「師よ、あなたが何とおっしゃっても、私はあなたを無限の至福の大海とお見上げいたします!」
これを聞くとラーマクリシュナはほほえみ、『こいつめ、私を見破ったな!』とつぶやいた。
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これはある意味、素晴らしい話である。トゥリヤーナンダはラーマクリシュナを神の化身と信じ、絶対者であると信じていた。よって師が病気に冒されたり、苦しみにのたうち回ることなどありえない。すべては師の演技、お遊びであると確信していたのだ。
よっておそらくトゥリヤーナンダは、あまり師の看病には来なかったのだろう。絶対者である師に、看病など本来必要ないのだと。
これはバクティヨーガの教えでは、シャーンタという信仰の態度だ。つまりそこにおいては、絶対者に対する「畏敬の念」のみがある。彼は神を絶対なるもの、完璧なるものと見、おそれ、敬うのだ。これは世界の多くの宗教にも見られる基本的な信仰の態度だろう。
のちのトゥリヤーナンダは別として、このときのハリナートは、まだこの段階だったのではないだろうか。
しかしこの先のより進んだバクティヨーガの世界に入ってくると、その態度やムードは全く違ったものになってくる。彼らは主の召使いとして、友として、父母として、子供として、恋人として、強烈な愛を持って主に尽くす。
そのようなバクタたちにとって、たとえば師ラーマクリシュナが病気で苦しんでいるのを見たとき、「師は私を試している!」などとは考えない。そのバクタはおろおろし、「何とかして自分が師を救おう!」と考えるだろう。
師や神の絶対性を信じていないわけではない。それは完全に信じているのだが、同時に、心配し、なんとかしてそのお役に立ちたいとか、自分が彼の苦悩を取り除いてあげたいとか、快適さを提供したいという抑えがたい気持ちが働くのだ。
トゥリヤーナンダが言うように、絶対者である神の化身は苦楽を超越しており、カルマも超越している。だから本来は誰の助けも必要ないし、無明にまみれた弟子たちがそのような師を苦痛から救うとか快適さを与えるなどというのは不合理なことなのだが、そのような理屈を超えた真愛で、彼らは動くのだ。
ちょうどそれはクリシュナの物語でも多くのそのようなシーンがある。例えば有名なエピソードで、傲慢になったインドラ神がクリシュナたちが住む村に雷や暴風を巻き起こしたとき、クリシュナは巨大なゴーヴァルダナ山を持ち上げて、しかもそれを指一本で支えて傘のようにして、村人たちを救った。しかしそれを見た村人たちは、「なんと偉大なクリシュナ様! ハハーーッ!」とはならなかった(笑)。そうではなくて村人たちは、「クリシュナがあんな小さな手で山を支えている!」と知ると、皆がクリシュナを助けようと、自分たちでも山を支えだしたのだ。実際はクリシュナにとっては山を支えるなど指一本で十分であり、村人の助けは必要なかったのだが、そんな理屈など入る余地なく、クリシュナへの愛によって、彼らはクリシュナの苦痛を減らそうと、各自でゴーヴァルダナ山を支えたのだ。
このようなシーンは多くある。クリシュナが若き日に住んでいたヴリンダーヴァンの人々はクリシュナのことが大好きで、いつも何とかしてクリシュナに喜びを与え、苦痛から救おうと考えていた。クリシュナこそがすべての喜びの与え手であり、苦痛の除き手であるというのに!――しかしこれこそが、真のバクタたちの心持なのだ。
コシポルのガーデンハウスに集ったラーマクリシュナの若き弟子たちも、ラーマクリシュナが神の化身であり、絶対者であると信じていた。しかし彼らは師が苦しんでいるのを、「絶対者だから大丈夫」などと澄まして見ていることはできなかった。彼らはおろおろし、胸を痛め、何とかして自分たちが師をお救いしようと考え、そのために奔走したのだ。
彼らの心持をあらわす有名なエピソードがある。ある時期ラーマクリシュナは症状が重くなり、ずっと寝込んでいたのだが、ある日久しぶりに体調がよくなり、庭に散歩に出た。そして庭のある場所で、ラーマクリシュナは超越的な意識状態に入ると、そこにいた年配の信者たち一人一人に触れて、奇跡を起こしたのだ。ラーマクリシュナに触れられた信者たちはそれぞれが超越的な意識を経験し、ある者は深い瞑想状態に入り、ある者は奇跡的な神秘体験を経験し、ある者は神の歓喜に浸った。このような奇跡がおこなわれていたとき、奉仕のために泊まり込んでいた若き弟子たちの多くは、日々の奉仕に疲れ、ちょうど眠っているところだった。しかし若い弟子の中でシャラト(のちのサーラダーナンダ)という弟子は起きており、遠くからこの光景を見ていた。ある信者がシャラトに気づき、今とてつもない奇跡がおこなわれているから来るようにと合図をした。しかしシャラトは行かなかった。なぜだろうか?
シャラトによると、師がずっとベッドで寝込んでいたので、シーツを代えることがしばらくできなかった。しかし今日、久しぶりに師が散歩に出たので、まさに千載一遇のチャンスと思い、シャラトは師のシーツを取り換え、洗い、日に干すという作業に没頭していたのだ。このチャンスを逃したくなかったために、彼は行かなかったのだ!
シャラトにとっては、師の奇跡を見るよりも、師に超越意識を与えていただくよりも、師が不快な汚いシーツで寝ているということが心配であり、シーツを新しくして快適でいてもらうということのほうが重大事だったのである。