パトゥル・リンポチェの生涯と教え(39)
◎パトゥル、シャブカルに会いに行く
偉大なるゲルク派の学者ジャパ・ド・ンガク・ギャツォ――一般的にはアラク・ド・ンガクとして知られる――は、パトゥルの敬虔な弟子であった。そして彼はまた、北東チベットのアムド地方出身の偉大なるヨーギー、シャブカル・ツォクトゥク・ラントルの敬虔な弟子でもあった。その偉大なるヨーギーが記した作品は、当時すでに広く崇められていた。
その二人の師の生きた実例は、放棄と慈悲の理想を具現化していた。シャブカルはこう書いている。
「どこかで暮らすとき、私は何も執着するものを持たない。
場所を去るとき、私は後に何も残さない。
わたしがどこにいようとも、
誰もわたしに『どこにいたのですか?』『どこに行くのですか?』と尋ねる者はいない。
わたし、放棄のヨーギーは幸せ。
その見解は、空よりもさらに広大なる空性。
そこには、慈愛という太陽と、慈悲という月が昇っている。
何度も何度も、わたしは果てしない祈りを捧げる。
教えと衆生を利するために。」
あるときパトゥルは遂に、アムドのレコンの地域にあるヤマ・タシキルにいるシャブカルに会いに行くことに決めた。二週間歩いて、目的地のアムドまであと半分というところまで来たとき、パトゥルはシャブカルな亡くなったという知らせを聞いた。
ただちにパトゥルは、シャブカルがいた方向に向かって百回の五体投地を捧げた。自然と詩が浮かんできて、パトゥルは、シャブカルがまたすぐに転生してくることを懇願する歌を歌った。
そして旅の道連れにこう言った。
「慈悲と慈愛はダルマの根です。シャブカル以上に慈悲深い人は、この世界におりませんでした。私は、彼に特に聞きたいことはなかったし、授かりたい教えもなく、彼に捧げるための教えもありませんでした。私はただ、彼の御顔を見て、彼の面前にいるという功徳を積みたかったのです。」