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マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(7)

 聖ラーマクリシュナはしばしばドッキネッショルからカルカッタにお出掛けになり、在家の信者の家にお立ち寄りになった。
 彼の訪問が、そこに信者達を一同に会させ、そこでは信仰歌、朗読、講和、討論が催された。
 ターラクが初めて師に出会った、カルカッタのラームチャンドラ・ダッタの邸宅は、シュリー・ラーマクリシュナのお気に入りの場所のひとつで、師の勧めでターラクはそこへ移り住んだ。
 彼が滞在した部屋は小さくて殺風景だったが、聖ラーマクリシュナやその信者達と親しく交わることが出来たので、彼は大変幸せだった。
 彼には、必要なものはほとんどなく、自炊しながら大変質素な生活をした。
 そこでの生活について、後にターラクはこう語っている。

「ラーム家では、わたしは本当に肉体と魂を一つに保つのに最低限必要なものだけで満足していたから、食べ物などの肉体を快適にするものには全く注意を注がなかった。大抵は一日に一食だけ、米と、一、二種類の野菜で作った本当に質素な食事しか食べなかった。ごちそうには全く興味がなかったんだよ。」

 さらに彼はこう言った。

「ほとんどの夜、わたしは ビーダン・スクウェアかハドゥワー、もしくは隣接した公園で、瞑想して過ごした。そしてときどき、ケオラタラの火葬場やカーリーガートや周辺の辺鄙な場所で、苦行を行じていた。」

 ほどなくしてターラクは、カルカッタは繁華街の騒音と喧騒によって非常に気が散ってしまうと感じ、カンクルガチにあるラームチャンドラのガーデンハウスに移り住んだ。当時はそこは深い森で、中心街から離れた辺鄙な地域だったのだ。そこは古代の僧院にいるかのような感じがして、理想的な森の隠遁所だった。そしてターラクはそこでは本領を発揮しているようだった。
 カンクルガチでの生活について、当時を振り返って彼はこう述べている。

「わたしは一人っきりで本当に幸せだった。夕食は少々のお米と、一種類か二種類の簡単なおかずだった。軽食には、わたしはドゥニの火(儀式用の火。通常は暖を取るためのもので、ときには簡素な調理用の焚き火)をおこし、何枚かの無発酵のパンと、熟れてないバナナを一、二本焼き、これらだけを食べて水で流し込んだ。昼も夜も わたしはドゥニの傍で、霊的な修行に没頭した。そして、その場でさっと、睡眠や休養を取った。庭園にはほとんど人が居なかったので、誰にも邪魔されることがなかった。焚き火がときに蛇を寄せ付けたが、どういうわけだか、それらはわたしを避けてどこかへ去って行った。」

 この当時ターラクが行じていた苦行は身体にこたえたようで、彼はすっかりやせこけてしまった。しかし、それが彼の常なる探求を阻むことはなかった。
 彼の中では、不屈の霊的渇仰心が燃えていて、その目は優しい光を放っていた。彼の声はとても甘美で、外見はひときわ愛想の良い感じがした。
 ときおり、彼は徒歩でドッキネッショルに行き、師を訪れた。彼は普段、寺院が訪問客や信者で必ず混み合っている土曜・日曜・祝日を避けて平日に出掛けた。たまに一晩を向こうで過ごした。

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