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「智慧のサンスカーラ」

◎智慧のサンスカーラ

【本文】
『タッジャハ サンスカーローニャサンスカーラプラティバンディー

ここから生じるサンスカーラは、他のサンスカーラの発現を妨げる性質を持っている。』

 はい、サンスカーラ。わざわざここはサンスカーラってもともとの言葉を残しましたが、これはね、よく仏教用語で「行」といわれるやつです。サンスカーラ。
 サンスカーラっていうのは、いろんな意味があるんです。だからわざわざサンスカーラって残したんだけど。単純に言うとね、カルマと言ってもいいです。あまりみんなそういう言い方しないけど、行=カルマと言ってもいい。つまり心の奥の奥の奥に貯蔵された情報です、われわれの。データだね。
 ここから十二縁起だと、無明ありて行あり、行ありて識ありと。つまり行から、サンスカーラから識が出ますよと。どういうことかっていうと、われわれの心の奥にある情報から識別――つまりこれはこうだとか、あれはああだとかいう観念的考えが生じるんです。
 これはもう一つ、カルマだって言ったのは、例えばわれわれが誰かを殴りました。その情報がここに入るんです。殴ったからその情報が現実化して、われわれも殴られる。この情報が全部入っています。だから、われわれの心の性格とか考えとかの元とも言えるし、あるいはカルマの法則の現象の大もとともいえる。これをサンスカーラという。行っていうんですね。
 ここで言っているのは、
「ここから生じるサンスカーラは、他のサンスカーラの発現を妨げる性質をもっている」。
 つまり、サンスカーラというのはもう一回言うと、われわれは何かを経験したときにその情報が蓄積されるんだね。それがまたぱーっと現われてくる。例えば、分かりやすくいえば、Cさんが久しぶりにホルモン食った。これはサンスカーラとして入ります(笑)。それがまた何かの刺激を受けたときに、「食いたい」っていう心の想いとして出てきたり、それがあるからカルマによって他の人からホルモンに誘われたりっていう状況が生じる。あらゆる経験がそうなんだね。ということは、このわれわれが瞑想して智慧を知り得た、この経験もサンスカーラとしてまず貯蔵されるんです。つまりここで言っている真理の智慧っていうのは、別に完全に聖者として完成したわけじゃない。瞑想して成功したときに、ぱーって智慧を発見したと。「おお、すごい!」と。でも誰かに呼ばれて瞑想から醒めちゃったと。そうしたらなんか忘れてたりとか、あるいは心がもう変わってたりする。しかし、その経験はサンスカーラとして残るんです。こいつがしっかりとサンスカーラに定着すると、他のどうしようもないどうでもいいようなサンスカーラの発現を邪魔するんです。つまりこの悟りの経験が、他のどうでもいい煩悩の経験が起きないようにするんだね。
 ちょっとイメージ的に言うと、つまりね、サンスカーラって光なんです。情報って光なんです、実は。だからさっき光には、悪い光もいい光もあるよって言ったけど、われわれの経験そのもの、情報そのものは光なんです。でもそれは弱い光です。悟りの光っていうのは強い光なんです。つまり、蛍がいっぱいいるところに強烈な光源を置けば、蛍の光は見えなくなる。同様に、強烈な悟りの経験が心の奥にどんとあったら、過去の煩悩的経験っていうのは見えなくなるんです。一回や二回じゃ駄目だろうけど、何度もこのサマーディに入って、智慧の経験をしている人は、自然に現世のものなんてどうでもよくなるんです。悟りの方が心の奥にがっと根付いてくる。

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