yoga school kailas

たった一つの大切なもの


 バクティが、たった一つの大切なものだ。
 たしかに神はすべてのものの中にいらっしゃる。それでは、どういう人をバクタというのか。その心が常に神を思っている人だ。しかしこれは、人がうぬぼれや虚栄心を持っている間はだめだ。神の恩寵という水は、うぬぼれという高い土手の上にはたまらない。流れ落ちてしまう。

 私はただの道具だ。

 神は、あらゆる道を通って悟ることができる。すべての宗教が本物だ。大切なのは屋根に達することだ。
 屋根には石の階段か木の階段で登ることもできるし、竹のはしごで登ることも、縄で登ることもできる。また竹の棒でよじ登ることもできるだろう。
 お前たちは、他の宗教にはさまざまの間違いや迷信がある、と言うかも知れない。私は答えよう--それはあるだろう。あらゆる宗教が間違いを持っている。誰もが自分の時計だけが正しい時を告げる、と思うのだ。神への憧れがありさえすればそれで十分だ。彼を愛し、彼に心を惹かれるならそれで十分だ。神はわれわれの内なる先達だ、ということを知らないか。彼はわれわれの心の願いと魂の渇仰とをご覧になるのだ。
 ある人が数人の息子を持っているとする。上の息子たちは彼をハッキリと、ババとかパパとか呼ぶが、幼い子供たちはせいぜい、バーとかパーとか呼べるだけだ。さて、父親はこの不明瞭な呼び方をする子供たちに腹を立てるかね? 父は、彼らもやはり彼を呼んでいて、ただ彼の名を正確に発音できないだけであることをよく知っている。父親にとって、すべての子供は同じである。同様に信者たちは、さまざまの名によってではあるが、神に呼びかけているのだ。たった一人のお方を呼んでいるのである。神は一人、しかし彼の御名はたくさんある。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする