チャーデル・リンポチェ
チャーデル・リンポチェは、とても厳格なラマです。当時のチベット人のラマの中には、裕福な西洋人に近づきたがるラマもいましたけれども、チャーデル・リンポチェはそういうことを一切拒否していて、めったにお会いすることもできないと言われていました。僕はぜひお会いしたくて、パルピンのお寺に出かけました。ところがそこにいるラマたちに「チャーデル・リンポチェはいらっしゃいますか」と聞くと、みんな「知らない」って言うんです。知らないわけはないのに、「知らない」と言う。『お会いしたいんですけど……』『無理でしょうね』と言われるわけです。まあ、そうなんだろうなと思い、あきらめて、僕は一緒に出掛けた小坊主たちと山を散歩がてらピクニックすることにしました。山の中腹あたりにを歩いていると、前方から胸にスヌーピーがプリントされている真っ赤なTシャツを着た老人が降りてきました。非常に元気そうな足取りですたすたと、スヌーピーつけた老人が降りてくる。すると、なぜか僕の後ろにいた小坊主たちが緊張して、立ち止まってしまったんです。僕は何だろうと思いながら、そのご老人に「チャーデル・リンポチェにお会いしたいんですが……」と聞いてみました。よく通る声が帰って来ました。「おお、それはわしだ」と。僕の後ろの小坊主たちが緊張で硬直していました(笑)。
…(中略)…
1960年代初頭にフランス人が撮った記録映画の中に、チベットの精神的な伝統をとらえた映像が残っています。有名なラマ僧が次々と登場します。ニンマ派の有名なラマ、ドゥンジョン・リンポチェは、お寺の中で見事なタンカを背景に、静かに瞑想しているところが映っていましたし、ディルゴ・ケンツェー・リンポチェは護摩の儀式をおこなっているところが映っていました。ドゥクパ・カギュ派の有名なラマ僧はナーローパの六法をやって、体中から熱を出しているところを撮影されています。その中でただ一人、チャーデル・リンポチェの記録はとびきり異色でした。そして、素晴らしいんです。なんとチャーデル・リンポチェは道路工事をしてました。自分で鍬を持って、道路を作っていました。当時まだお若くて、ちょうど北島三郎みたいな顔で(笑)、角刈りです。北島三郎が鍬を持って、カメラに向かってニコニコと土を掘っているわけです。あとで聞いた話ですが、フランスの撮影スタッフがチャーデル・リンポチェの高名を聞いて、「チャーデル・リンポチェはゾクチェンの大変な行者とうかがいましたので、ゾクチェンの瞑想しているところをぜひ撮らせてください」と頼むと、「わしはそんなものは知らないし、そんな箱の中に撮影させるいわれはない。今のわしを撮影したいなら、わしは自分で手で道を開いて、土を掘って寺を作っているのだから、それを撮ればよろしい。今私がおこなっていることこそが、仏の働きなのだからな」と答えたそうです。それで道路工事をしているところを撮影させたんですね。
有名なアメリカ人のカソリックの修道士、トーマス・マートンがチャーデル・リンポチェに出会った時の日記も感動的です。…(中略)…トーマス・マートンは書いています。
「私が出会ったラマ僧の中でも、最も偉大な人間である。まるで頑固な百姓のような、しかしこの頑固な飾り気のない百姓の中には、チベットの仏教が目指すブッダフッドというのが、何の飾り気もなく、生きた存在として輝いているのが私には見える」と書いています。まさにその通りの方です。年をとられて、北島三郎が今は長いあごひげをたくわえて、中国のキンシコウという猿にそっくりになられて(笑)……、もう、ほとんど仙人のようなたたずまいです。
(中沢新一『講演・チベットの大地』より)