「聖者の生涯 ナーロー」⑨(6)
◎エネルギーの正体
この言葉っていうのは、もう一回言うけども、さっきの話と同じでね、「純粋な精神性がないと、この汚いものはとてもまずく感じるが」云々と。つまり「純粋な精神性がないと」と言ってるのは、ティローが、さっきも言ったけども、ティローがそれを自分でおいしいと思えたのは、それは超能力でおいしく変えていたわけではありません。ティロー自体が純粋な精神性を得ていたからなんです。つまり、これが密教の奥儀――さっき言ったこととも関わるけども――この世において――いいですか?――感情にしろ感覚的経験にしろ、負の要素、つまり苦しいとか悪いものっていうのは一切ないんだと。純粋なエネルギーの領域においては、ただ至福のみがあると。あるいはここに書いてあるような「永遠、不老、不死、純粋、平和、寂静、超越、至福」のみがあると。
これは前に何回かわたし言ったけど、わたしの経験として言うとね――ちょっと新しい人もいるのでまた同じ話をするけども――わたしが昔、だいぶ昔ですけどね、もう十数年前かもしれないけど、わたしが一番最初にこれを経験したのは、あるときね、とても悲しい出来事っていうかな、精神的に苦しい出来事があって、それですごく心が悲しみのエネルギーでいっぱいだったことがあったんだね。で、もうまさにうわーってこう胸が締め付けられるような、グワーッてその悲しみの嫌なエネルギーでいっぱいになってたんだね。そのときにわたしは瞑想に入って、その悲しみのエネルギーにグッと集中したわけですね。エネルギーというか心というかな。そのグワーッってこみ上げてる悲しみそのものにグーッと集中したんです。
で、これは前も何回も言ったけど、それは普通できないんです、普通。つまり瞑想に熟達していないと無理です、まず。
どういうことかっていうと、イメージで言うと、この、実体がないからね。実体がないから、集中しようと思っても「ぷにょ」って感じでこう(笑)、ずれちゃうんだね。ズバッって刺さらないんです。そのぐにゃぐにゃーっとしたエネルギーっていうのは、相当集中力がないと、そこに心の槍みたいなのを刺すことができない。
でもそのときは、初めてそれが成功したんだね。その悲しみのエネルギーの心のエネルギーの中に、グッと集中の槍がズバッと刺さったときに、まさにアニメみたいな感じなんだけど、ブワーって感じでそのエネルギーが――エネルギー自体はあるんですよ、エネルギー自体はあるんだけども、言ってみれば原初のエネルギーに返っていったんだね。バーッて原初に返って、悲しみは一切なくなった。悲しみは一切なくて、ものすごい至福感があったんです。
で、ここでポイントは――いいですか?――その「うわーっ、悲しい!」っていうものすごいエネルギーがあるよね? この強力なエネルギーはなくなっていないんです。このままなんです。このままでそれが純粋化されたので、強烈なエクスタシーになったんです(笑)。さっきまで「あー悲しい……うわー! 気持ちいい!」って感じになったんだね(笑)。
これはちょっと問題があるのは、集中外すと戻るんです。例えばちょっと雑念が出ちゃって集中が外れると、またまさにアニメーションのように、ジュルジュルジュルジュル……っていろんな情報がそこに覆いかぶさって「悲しいー!」ってなるんです(笑)。
つまりこれを何度も経験するうちに――あ、これが密教でいってることかと。つまり感情のエネルギーの正体っていうか、その原初――もう一回言いますよ。ちょっと逆の観点から言うと、ちょうどヒンドゥー教でいう、このシヴァ神の寂静の世界からカーリー女神やシャクティ女神がこの宇宙をエネルギーによって作り出すように、まずこの純粋なる世界から純粋なエネルギーが、ブワーッて現われるんです。このエネルギーが超純粋なんです。つまりもう至福に満ちた素晴らしいエネルギーなんだが――仏教でいう無明・行・識といった十二縁起の、つまりわれわれの錯覚からくる幻影的、けがれた心の働きがそれに乗っかることによって、そのエネルギーが限定された良し悪しの感覚に変わってしまうんだね。
例えばセックスの喜び、人から褒められた喜び。これも実は限定されています、非常に。純粋なる素晴らしいエネルギーが、非常に狭い所に押し込められちゃって、すごくもったいない使われ方をしているような感じなんだね。
もったいない使われ方っていうのは、そうですね、例えば例をあげるならば――ちょっとわたしあんまり料理のこととか分かんないけども、高級なね、本当にもう高級な食材を買ってきて、それで非常にもったいない食べ方をするとかね。そういうのに似てる。つまりその純粋なエネルギー自体は、本当にもうすべてを吹っ飛ばすような強烈なエクスタシーをわれわれに与えてくれるのに、「え、そんなんでいいの?」っていう使い方をしてるっていうか(笑)。そんなところに押し込めちゃって――例えばたかだか人から褒められて嬉しいとかね。たかだか恋人とイチャイチャして嬉しいとか、「そんなんでいいの!?」と(笑)。そこに押し込められているのがわれわれの小さな喜び。
で、逆の苦しみも同じで、この純粋なエネルギー自体は純粋なる至福そのものなのに、そこにいろんな情報を上からかぶせることによって、それが強烈なエネルギーを伴った苦しみに変わるんだね。これがわれわれのこの世における多くの苦しみなんです。
で、この苦しみにしろ喜びにしろ限定された偽りの状態があって、でもそれを追っ払って、いってみれば原初の状態、原初のエネルギーのところに心をアクセスすることができる人にとっては――いいですか?――あらゆるこの世の経験は至福に変わる。つまりこのティローのように、それが例えば触るのも嫌なようなものであっても、それを口に入れたならば――まあつまり、なんであろうと至福なんです。あるいはわたしの経験としていつも言っていたように、何触っても喜びなんです。