◎すべてが神
◎すべてが神
【本文】
『森羅万象いかなるところにも私を見、私の中に森羅万象を見る人を、
私は必ず見ているし、その人も私を決して見失うことはない。』
はい。もうちょっとこれはバクティ・ヨーガ的な考えになっている。
つまりさっき言ったのは、すべてが私であると。そして私の中にすべてがあると。
これはこれでいいんだけど、次に言ってるのは今度は私――ここで言う‘私’はクリシュナね。つまりすべての中にクリシュナを見なさいと。
クリシュナじゃなくてもいい。シヴァでもいい。あるいはチベット密教的な言い方すると、グルなんだけどね。ラマ、つまり生きた師匠をそこに置くんだけど、それはそれぞれの縁でいいと思うけども、例えばクリシュナだったらクリシュナ、つまりすべての中に私がいるって考えるんじゃなくて、すべての中にクリシュナ様がいるって考える。
これは敢えて――ラーマクリシュナのやり方もそうだけど、敢えて二元を残してるんです。ラーマクリシュナの言い方をするとね、「私はこうやるんだ」とか「私の物」とか「私はこれが欲しい」とか「私はこれが嫌だ」とか、それはすべて「悪い私」だと。そんなのは全部捨てろと。唯一つだけ‘私’を残せと。それは「神の召使の私」(笑)。それだけを残しなさいと。じゃなくて最終的な修行の完成っていうのはすべての私が消えるんだけどね。私が消えて完全に真理と一体化すると。でもそうじゃなくて、それは大変だと。そんなこと理想論として言ったって現実問題として常に真我と一体化して生きれるのはなかなか難しいと。よってラーマクリシュナとかは現代のカーリ・ユガにおいては最後の、唯一の二元だけを残すのが一番いいと。神と私、これだけだと。私は他のものでは一切ないと。
で、これを残して、しかもその神っていうのはこの辺にいるっていうんじゃなくて(笑)、すべてに遍在してるから、すべてが神だと。
例えば私に悪い、嫌なことやってくるやつも神だと。それは私のことをいろんな形で鍛えようとしてくれると。
「ああ、この人は私を馬鹿にすることによって私のプライドを落としてくれている」と。「いや、素晴らしいな」と。
あるいはもちろんいいことやってくれる人も神だし、それだけじゃなくてこの録音機も神だし、絨毯も神だし、すべてが神であると。すべてが至高者の現われであると。このような見方だね。これがバクティ・ヨーガ。で、こっちのほうがわれわれには現実的に利益があると思うね。
◎実質的に利益のある方法
はい。そして、『そのような生き方をしている人を私は必ず見ているし、その人も決して私を見失うことはない。』
と。
クリシュナっていうのは実際本当にインドに実在した人物と言われているんだけど、そのクリシュナのことを物凄く愛して帰依していたラーダーが、まさにこの境地にあったと思うんだけど、「私は何を見てもすべてがクリシュナ様に見えてしまうんです」って言ったわけだね。で、それに対して友達が笑って、「あんたおかしいんじゃないの?」と(笑)。「われわれはそんなこと見えないわよ」と(笑)。「ちょっと気が狂ったんじゃないの?」と(笑)。そしたらラーダーが言うには、「神への愛という目薬を自分の眼にさしてごらんなさい」と。「そしたら皆さんも見えますよ」と。
つまり神への強烈な愛っていうものを自分が持っていると、すべてが実は神だったって気づくんだね。これはだからバクティ・ヨーガの一つの境地だね。で、この時代においてはそのやり方のほうがいいんだね。
すべてが、すべては真我であるというふうに格好つけるよりも(笑)――そう思ってもたぶん本当はその境地にはないだろうから(笑)、すべては偉大なる至高者の現われだって考えたほうが実際的には利益が大きいと思うね。
ただ、これはタイプがあるんだね。バクティ的な、このバガヴァッド・ギーターの教えに出会えてそれを理解できるっていうのは、実は過去世においていろんなヨーガをやっていろんなことを達成してきた人じゃないと無理だって言われている。ということはみなさんにはその可能性があるんだけどね。実は――ねえ、ここにいるある人はボーっとして、ある人はいろんな煩悩持っているみなさんも(笑)、実は過去世においては偉大なヨーガを達成してきて、ここに来て今バガヴァッド・ギーターを学んでいるのかもしれない(笑)。これは可能性は十分にあるよ。うん。
だから理解できない人もいっぱいいるんだね。だからそれはしょうがないって言えばしょうがない。
例えば一般的にいう「よし、おれが修行するぞ」っていうタイプの修行ね、これも悪くはない。でもそれ以上に、「いや、私は至高者の恩寵によって悟る――それだけなんですよ」と。そういった思考にシフトできるかどうかっていうのは、その人のやっぱりカルマによる。
いや、私は信仰とか嫌いですと。神とか嫌いですと。ただ私は自分で修行して、自分で真我を見出したいんですっていうタイプもいる。これはこれでいいというか、カルマだから。でもそういうの全部乗り越えた後に、結局至高者がすべてだったんですねっていうとこに行き着くんだね。だからそういうところに今生でも入れる人っていうのは素晴らしい。だからカイラスっていうのはそういうカルマがある感じがするから、素晴らしい集団だね(笑)、カイラスは。