yoga school kailas

想像

 心の波を鎮めるのは難しい。一つの心配が終わると、次の心配が始まる。心は決して無にはならない。無限に心は何らかの思いに関わり続ける。
 注意深く、心の働きを観察してみるがよい。心は試し、誇張し、過大に評価し、のぼせ上がる。過去をくよくよ思い、未来を根拠のない想像であれこれ心配をし、つまらない予感におののく。心は、神を悟るという本来の人生の目的から離れさせようと、全力を尽くすのだ。真理は、今ここにあるというのに。
 心の微妙な働きを完全に理解するために、私は何年も費やした。あらゆるたぐいの恐怖、誇張、虚構、心配など砂上の楼閣的な働きは、すべて想像力の産物なのである。しごく健康な人も、心の想像力が作り出した架空の心配のせいで、多くの力を失いがちである。
 戦争の時、心が戦いだけに向いている間は、足に受けた銃のキズが大きくても、兵士は無頓着である。大量の出血にも気づかない。いってみれば、しばらくの間、全く肉体を意識していないのである。興奮状態がおさまり、服に血がついているのを見たり、足の負傷を誰かが指摘すると、肉体の意識が戻ってきて驚く。そこで想像力が大打撃を与えて、気を失って倒れる。このように、想像力はいつも誇張する。
 心の中で事件を作り出すことについて説明しよう。悪性の疾病が猛威をふるっている時、『妻が疾病にかかって死んだらどうしよう。六人の子供がいるのに。』――これは根拠のない妄想である。何も変わったことは起きない。
 鉄橋を汽車で渡る時、『鉄橋が崩れ落ちたらどうしよう。この身は砕けてしまう。』と想像する。少し怖くなる。このように心の中で事件を作り上げる事は無数にあり、これには想像力が大きく働いている。
 深く心が集中している時には、二時間でも五分間のように過ぎる。逆に心が乱れて苦しい時には、30分は二時間のように重々しくのしかかる。誰もが経験することであるが、心のあり方によって、一瞬は長く思えたり、長い時間も一瞬に思えるのである。だから時間も空間も事物と同じように錯覚に過ぎず、単なる観念である。

 ――スワーミー・シヴァーナンダ

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