解説・アーナンダマイー・マーの教え(3)「念正智」
◎念正智
【本文】
一.自分が正しい言葉を発しているか、正しい思いを持っているか、正しい行ないをなしているかを観察してください。
これはまさに念正智の世界だね。これは分かりやすいね。自分の言葉、そして心の中の思い、そして行ない。これを常に自己観察しましょうと。これはもう何度も何度も言ってることだね。これについて徹底的に書いてあるのが『入菩提行論』です。
◎シンプル
【本文】
二.食物や衣服は、極端なほどにシンプルなものにしてください。
これもこのままですけどね。これもぜひみなさん毎日読んで、そのようにしていったらいいね。
つまりわれわれは別にさ、みなさんみたいにこうやって修行し始めてる人は、一般の人に比べたら、もちろんそんなには食物や衣服の喜びを追い求めたいとは思ってはいないと思うんだね。「そんなには」っていうのはどういうことかっていうと、つまり一般的にはですよ、超追い求めてると思います。超追い求めてる。例えばテレビをつけるとグルメ番組ばっかりだと。「あそこのスイーツが」とか(笑)、「あそこのこれが」とか、本当にわれわれはもうすでに日本人として、現代日本人というだけで、世界基準でいったらね、相当おいしいもの食べてる。T君とかKさんみたいに世界を旅した人は分かるだろうけど、もう神様みたいなもんだね。日本人の食生活とかをみたらね。
まあ、いつも言うけど、わたしもヒマラヤに何度も行ってるわけだけど、ヒマラヤの例えば普通の一般の人たちの食事っていうのは、チャパティっていう小麦粉を――パンですらないから(笑)。発酵してないから。小麦粉をただ焼いただけのものと、あとヒマラヤだから野菜が少ないんだね。オクラとか、本当わずかな野菜しかなくて。で、それで作った非常に薄いカレーをごはんに混ぜて食べたりとかね。もうそれが毎日続いてる。で、もちろんもっと貧しい国々もあるよね。で、それから見ると、日本人の現代の食生活っていうのはもう神様みたいなもんだと。で、それをさらに質素にしろとはいわないが、さらにみんな追い求めてるよね、そこから(笑)。重箱の隅をつつくように、よりおいしいもの、より味覚を刺激してくれるものを追い求めてる。
あるいは衣服もね、衣服もより流行を追い求め、例えば前のシーズンと同じものは絶対着ないとかね。それがどれくらいの常識なのかはよくわたしには分かんないんだけど(笑)。前わたしが驚いたのが、ある生徒さんが、「いや、会社に同じものって着て行けませんよ」と。「昨日と同じもの着てたら笑われます。それは常識です」とか言われて。で、わたしは常識の判断が全くできなかったので(笑)、未だにそれが本当の常識なのかよく分かんないんだけど(笑)。でもまあ、そういう社会があると。で、いろんな雑誌を読んで、「あ、今年はこれが流行ってる」と。「ああ、これも買いたい」と。で、そのために働くと。
で、そこまではいかなかったとしても、この衣食住の問題っていうのは、放っておくとちょっと流れちゃうんだね、贅沢の方に。どうしても。もともとそんなにグルメ志向でもありません、そんなにブランド物追っかけてるわけでもありません、っていう人でも、気づくと流れちゃうんです。気づくと、「もっともっとおいしいものが食べたい」「もっともっといいものを、きれいなものを、かっこいいものを着たい」ってなっちゃうんだね。
だから、こういう――例えばこのね、「毎日、食物や衣服は極端なほどにシンプルなものにしてください」と。あの、ちょっと変な言い方だけど、これを読んで、本当に極端にする必要はないです。してもいいですよ。してもいいけど、こういう文章っていうのは、それでブレーキがかかるんです。「極端にシンプルにしろ」って言われたら、贅沢にはまずできないよね(笑)。極限のシンプルはできないかもしれないが、まあ抑えられるでしょう。
極端なシンプルっていったらさ、例えばさっきのナーグ・マハーシャヤじゃないけど、ナーグ・マハーシャヤは米ぬか食ってたって(笑)。米ぬかですよ(笑)。脱穀したぬかを食事にしたと。で、その友人が「それはあまりにも……」って言ってぬかを隠したって話がある(笑)。そこまではまあ、する必要はないが(笑)、でも「極端に」って言われてたら、やっぱりあまり贅沢したいとは思わなくなる。あるいは極端にシンプルな衣服にしろって言われたら、やっぱりその――だからといって新しいものを買うな、なんては言わないけれども、「あれも、これも」っていう気持ちはちょっと抑えられるだろうね。
だから、これも日々修習するといい。極端にシンプル。極端なシンプルな衣服。シンプルな食べ物。
まあちょっと別の言い方すると、これも『バガヴァッド・ギーター』とかバクティ・ヨーガ的な言い方をするとね、「与えられたもので満足しなさい」と。ね。本当はそれが一番いいです。ただ与えられたもの。その与えられるってのはつまり、いろんなパターンがあるわけだけど、誰かにもらうとかね。あるいは必然的に買わなきゃいけなくなるとか、いろいろあるよね。与えられたもので満足すると。
もちろんそれをどこまでおまかせできるかは、その修行段階にもよるけども、でも基本的にはできるだけ欲望を追求しないというか。与えられた食事、与えられた衣服だけで満足すると。
ミラバイの歌でそういうのがあるよね。あなたが――ここで「あなたが」っていうのは神、クリシュナのことだけど――「あなたが与えてくれた食べ物だけを食べ、あなたから与えられた服だけを着て、たとえ奴隷として売られてもわたしは満足です」と。「すべてはただあなたがなさっているんですから」と。それくらいの投げ出した信仰心があったら素晴らしいね。
「もうただ神が与えてくださった衣服、食べ物、そして人生にすべてをおまかせします」という気持ちが理想です。で、その理想を常に心に持っていれば、まあミラバイとかナーグほどまでは、今この瞬間にはできなかったとしても、抑えることはできる。ね。あれこれと広がる思いを抑えることはできる。だからこれもぜひ毎日修習するといいね。
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