時の幻
逃げの心によって、
「今、ここ」に集中できないために、
言い訳を必要とするために、
理由を探すために、
人は過去と未来を妄想する。
するとそこに、過去が現れ、
未来が現れる。
「今、ここ」に集中できずに
心を散乱させた時、
過去と未来という幻影が創作される。
たとえばあなたが今の仕事に集中できない時、
その少し前の、その仕事をやることにやった因や、
未来の、その仕事の結果に心が及ぶ。
すべて妄想、気休めだ。
そしてそれでもまだ心が集中できないと、
昨日のこと、先月のこと、去年のこと、
生まれてから今までの、アイデンティティーに貫かれた過去が思い浮かび、
それをベースに、心は安心を探そうとするが
すべて妄想、気休めだ。
たとえばあなたは30年前に東京で生まれ、このように育ち、このような友達とこのような経験をしてきた、と考えるかもしれない。
すべて妄想、気休めだ。
あなたは生まれてなどいない。
親も友達も存在しない。
あなたには名前もない。
あなたが過去に経験してきたことなど何もない。
すべて妄想、気休めだ。
あなたには今、ここしかなく
あなたがなさねばならぬ目の前の仕事に
理由などない。
もちろんこれは高度な見解であり、
そのベースには、しっかりとダルマを学び、
至高者や師との絆をしっかり作ること。
自己を明け渡すこと。
その上で、一切の過去と未来の幻影を吹き飛ばし
今、ここに集中してみよう。
もちろん、「今、ここ」というものも便宜的な言い方に過ぎず
本当は、今もここもない。
かといって、何もないわけでもない。
ないものなどない。
このようにして、時の幻影を超えなさい。
もっと簡単にいえば、
愛するあのお方に、すべてを明け渡せばいいのだ。
自分の観念も、身も心も、カルマも人生も、
過去も未来も。
何があっても喜んで
すべてを神の愛と見て
心安らかに楽しみなさい。
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