道において、混乱を浄化する方法(1)「土台、道、成就」
道において、混乱を浄化する方法
ウルギェン・リンポチェ
道における混乱をクリアにしてくれるよう、祝福をお与えください。
◎土台、道、成就
道において、どのようにして混乱を浄化するか。
ここでは混乱とは、我々の生まれ持った本性をあいまいにし、悟りを妨げるもののことである。
すべての者は、仏性を持っている。一つの例外もなく、一切衆生がである。しかし不運なことに我々は、自分が持っているものを知らない。我々は混乱に陥り、輪廻をさまよっている。
そのような混乱を浄化するために、道は、土台、道、そして成就、つまりスートラとタントラのすべての教えを取り囲む構造の文脈のなかで、理解されるべきである。
土台は、仏性、スガタガルバ、つまり一切衆生の中にあるすべてのブッダのダルマカーヤである。それは、最高の資質を持ち、あらゆる欠陥から解放された、純粋で汚されることのない黄金にたとえられる。
仏性は、すべての者にどのようにあるのだろうか?
例としては、カラシの種からとれる油に例えられる。圧縮すると、カラシの種からは油が出る。同様に、一切衆生の中には、ブッダの本性、仏性があるのだ。それが欠けている者はいない。すべてのブッダと菩薩は仏性を持っている。そして、大きさや資質には全く関係がなく、最も小さい昆虫にいたるまでの一切衆生も同様に、仏性を持っているのである。
仏性、スガタガルバは、輪廻とニルヴァーナのすべてを取り囲んでいる。空間は、中心や端を越えている。空間が広がるところにはどこでも、生き物がいる。衆生がいるところにはどこでも、仏性がある。それは仏性が、輪廻やニルヴァーナのすべて、全世界、一切衆生を取り囲んでいるということを意味している。
ブッダの本性はすべての者にあるが、我々はそれを認識できない。その無智は、輪廻をさまよっていることが主な原因である。自分自身の本性を知らないという無智のために、衆生は泥の中に落ち、一時的に汚れた黄金のような混乱に陥る。ブッダたちは混乱に陥らず、自分の『本性の席』を保持する。ブッダたちと衆生の違いは、生まれ持った本性を知っているか、いないかである。
黄金は黄金であるが、泥に落ちると汚れに覆われ、それを黄金であると認識できなくなる。一時的に泥に覆われた黄金は、自分自身の本性を認識できない衆生の例えである。すべての衆生はブッダであるが、一時的な無明のために、彼らはそれを認識できない。土台は純金にたとえられ、一方、道は、汚れの中に落ち、汚れに覆われた黄金のようなものである。この文脈の中では、道は混乱の状態を意味する。
ブッダフッド、覚醒した者の成就した状態は、混乱の道に迷うことを意味せず、純金であるものとしての土台の状態を認識することを意味する。混乱の力のために、我々は道の状態(つまり純金が泥に覆われた状態)に今、迷い込んでいる。我々は、一時的に混乱の影響下にある。無智の眠りの中で、我々は三つの王国の夢を通過し、終わることなく六道の衆生のあいだを何度も何度も生まれ変わるのである。