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2011年インド修行旅行記(19)「ナーランダー僧院」

 さて、ラージギル方面の巡礼の最後の目的地は、ナーランダー遺跡です。

 ここはその昔、インド最後にして最大の仏教僧院であったナーランダー僧院があったとされる場所です。

 インド仏教最盛期の最大の僧院だったわけですから、今、世界に広まっている、チベット仏教、日本仏教、中国仏教、そして東南アジアの仏教などのほとんどが、この僧院の影響を少なからず受けているといってもいいかもしれません。

 この僧院出身・または留学者の有名どころでは、三蔵法師、ナーローパ、アティーシャ、マイトリーパなどがいますが、なんといっても我々のヨーガ教室に関係が深い人物としては、シャーンティデーヴァがいます。

 シャーンティデーヴァは若い頃からマンジュシュリー菩薩を見神し、マンジュシュリー菩薩から直接教えを受けていたという天才的修行者でしたが、この僧院においてはあまり僧院のカリキュラムに沿った勉学をおこないませんでした。もちろん実際はその陰で厳しい修行をしていたと思うのですが、外面的にはまるで食べて寝て歩いているだけに見えたので、ブスク(食べ、寝、歩くだけの人)というあだ名をつけられていたといいます。

 僧院の恒例となっている経典の暗唱会においてブスクの番が回ってきたとき、「あの怠け者が、どんな間抜けな暗唱をするのだろう」という興味で、多くの聴衆が集まったといいます。そしてその壇上においてブスクは「入菩提行論」の教えを説くのです。このとき彼は空中に浮いて教えを説いたともいわれています。
 その教えの内容のあまりのすばらしさに、聞いていた多くの僧その他の聴衆たちは感服し、ブスクをバカにしていた慢心・プライドがつぶされ、謙虚になりました。こうして多くの人々の慢心を静めて寂静にしたために、ブスクはシャーンティデーヴァ(寂静・平和の神)と呼ばれるようになったといいます。
 その後、シャーンティデーヴァは僧院を去り、密教行者になったともいわれますが、確かなことは分かっていません。

 さて、私は若い頃にこのシャーンティデーヴァの「入菩提行論」に出会い、大変な感銘を受け、私の修行においても大変な力となりました。そしてその後、ヨーガ教室を始めたとき、みんなにもこのすばらしさを知ってほしいと思い、ヨーガ教室であるにもかかわらず笑、この仏教の名著を生徒さんたちに勧め続け、今では我々のヨーガ教室に欠かせない、中心経典の一つになっています。

 というわけで我々にとっては、ナーランダーといえば真っ先に思い浮かぶのはシャーンティデーヴァなのです。

 さらには、これもまた我々のヨーガ教室で中心的な経典の一つに「ナーローの6ヨーガ」というものがあるのですが、前述のようにこのナーロー(ナーローパ)もこのナーランダー出身です。

 このように我々にとって少なからぬ思い入れのあるナーランダー僧院をいよいよ訪ねることになりました。

 炎天下の中、非常に広い遺跡の中を歩いて行きます。現地のガイドも断り、直感にまかせて、私が勝手に歩き回り笑、その後をみんながついてきました。というのは、時間があまりないということもあったのですが、そもそも我々はナーランダー遺跡に学術的な興味があるわけではないので、一般的な説明などは必要なかったのです。シャーンティデーヴァやナーローパがいた部屋などが分かっているなら別ですが、そんなこともありませんし。そこで直感にまかせて、暑い中をいろいろ歩き回っていたのです。

 するとある遺跡が、我々の目に止まりました。そこはまさに、シャーンティデーヴァが聴衆たちの前で、宙に浮きながら入菩提行論を説いた、そのイメージにぴったりの場所でした。もちろん、何の学術的な証拠も他の確証もありません笑。しかしなぜか我々は「ここだ!」と確信し、その場所に礼拝しました。

 その後、いくつかの遺跡を見て回ったのですが、あまり面白くなく笑、やはり先ほどの場所が気になった私は、遺跡を全部見て回ることはやめて、みんなを誘って先ほどの場所にもう一度戻り、そこでみんなで瞑想することにしました。

 ここで私は、瞑想しながら、ナーランダー僧院にゆかりのある数々の聖者に心を合わせ、感謝と決意の瞑想をおこないました。
 
「あなた方がいてくださったおかげで、今の私たちがあります。どうもありがとうございます・・・・・・
 そして今後、あなた方の意思を継ぎ、我々も菩薩の道を歩き、菩薩の道を広めていくことを誓います・・・・・・」

 私はナーローパもとても好きなのですが、ただここでナーローパに意識を向けても、あまりピンと来ませんでした。ナーローパはもともとナーランダー僧院最高の大学長でしたが、このナーランダー僧院を去って、密教行者のティローパの弟子になってから、ナーローパの本当の修行が始まったので、我々の知る密教行者としてのナーローパは、このナーランダー僧院にはあまり縁がないのかもしれません。
 同様に他の聖者に心を合わせてもまたそんなにピンと来なかったのですが、しかしシャーンティデーヴァに心を合わせると、とても大きな感動がありました。やはりこの場所は、シャーンティデーヴァに特に関係があるのかも知れません。

 炎天下の中、シャーンティデーヴァに心を合わせてしばらく瞑想していると、次のようなインスピレーションが心に浮かんできました。

「(シャーンティデーヴァは)ここにいるときは、『完全な無頓着』の修行をしていた。
 忘れたのか?
 そして、人には優しく。」

 このインスピレーションを感じたとき、私は、シャーンティデーヴァがブスクと呼ばれてバカにされていた、本当の意味がわかったような気がしました。彼は『完全な無頓着』の修行として、自分が他にどう思われるか、どう見られるかなどには、全く関心を置いていなかったのでしょう。そしてひたすら、他者のために生きたのでしょう。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩に出てくる「でくのぼう」のような感じだったのかもしれません。
 これは彼のグルであるマンジュシュリー菩薩の修行にも通じるものがあります。お釈迦様タイプの救済者は、皆よりも高い位置に自分を置き、上からみんなを引っ張っていきます。マイトレーヤ(弥勒)菩薩タイプの救済者は、みんなと同じ目線に立ち、みんなと一緒に引き上がっていくといわれます。そしてマンジュシュリー菩薩タイプの救済者は、みんなの後ろから、ちょうど羊飼いが後ろから羊を追って正しい道に向かわせるように、衆生の一番後ろから衆生を救うといわれます。
 この話は話としては美しいですが、現実的にではどういうことをやるのかというと、普通はよくわからない感じがします。しかし私は以前から、ここでいうマンジュシュリー菩薩タイプの救済者というのは、このシャーンティデーヴァのような人のことをいうのではないかと思っていました。
 皆に誤解され、皆にバカにされ、あるときは皆のストレス解消の的にされつつ・・・・・・実は彼こそが皆を導いている、というような存在です。
 「完全な無頓着。そして人には優しく」・・・・・・この言葉の果てにこの境地があるというか、この言葉で表される状態がないと、とてもこのマンジュシュリー菩薩の救済をおこなうことは不可能でしょう。自分は誰からも理解されずとも、ひたすら皆のために生きていかなければならないのですから。

 私もここであらためて、「完全な無頓着。そして人には優しく」というメッセージを心に刻み、生きて行こう、修行していこうと決意しました。

 ブッダガヤーでも、ギッジャクータ山でも、温泉精舎の上の聖地でも、そしてこのナーランダー僧院でも、すべてメッセージとしては放棄、無頓着、捨てる事、でした。そしてそこから生じる力強い自由、解放、慈悲。

 「もっと捨てなきゃ駄目だぞ! 一切にとらわれるな! 完全な放棄だ!――そこにこそ、ダルマがある」
 ――このようなメッセージを、この一連の巡礼の中で私は、お釈迦様、シャーンティデーヴァ等の聖者から受け取ったように感じたのでした。

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