被害や恩恵を救済につなげること
たとえば、誰かから何らかの被害や苦痛を受けたとき。
それを自己の心の成長の糧として喜ぼう。
その苦悩から積極的に何かを学ぶようにしよう。
そして、悪しきカルマが浄化されたのだと喜ぼう。
何とかして、その苦痛や被害を、自己の心の成長や修行の進化につなげるのだ。
そうすることによって、その苦悩を与えてくれた人は、結果的に、私の修行を進めてくれたという因を作ったことになる。
カルマの法則からいって、人に苦痛を与える人というのは、本人もその苦痛のカルマを持っている。
そして普通は、そこに「修行」や「ダルマ」というエッセンスがない限り、そのカルマはループし、絶えることがない。
もちろん私もそのループの中にいるわけだが、もし私が、すでに「修行」や「ダルマ」というエッセンスを、ほんの少しでも持っているなら--その教えに従って、相手が与えてくれた苦悩を自己の成長につなげよう。
それにより相手には、私を成長させたという予期せぬカルマが返ることになる。
こうして彼も、将来、苦悩のループから抜け出ることができるかもしれない。その種を与えるのだ。
苦しみを受けたら、真理の種で返せ。それはその苦悩を、いかに自己の成長につなげられるかで決まる。
たとえば、誰かから何らかの恩恵を受けたとき。
恩返しをしたいと思う。その最高の恩返しは、その恩恵を、自己の心の成長や、魂の修行の進化につなげることだ。
それにより彼にも、心が成長するカルマ、魂が進化するカルマが返るだろう。
これこそ最高の恩返しだ。
つまり、苦悩を受けても、恩を受けても、すべて自己の心や魂の成長につなげるということ。
それは自分のためでもあり、また、同じカルマのループの中にいる彼らのためでもあるんだ。
-
前の記事
徳と縁 -
次の記事
パドマサンバヴァの秘密の教え(21)「内の帰依の八つの修行」